(Mongeō Ruikai / 몽어유해)
概要
『蒙語類解』は、李氏朝鮮の司訳院が編纂した中国語-韓国語-モンゴル語の三言語対訳辞典である。1768年(英祖44年)に李億成による改訂版が刊行され、現存する規章閣本は1790年(正祖14年)の方孝彦による再改訂版である。総計5,317項の語彙を収録し、モンゴル語がハングルで音写されている点が最大の特徴である。
本辞典は18世紀の文語モンゴル語の音韻を記録した唯一無二の資料である。ハングルは表音文字として優れているため、当時のモンゴル語(特にハルハ・モンゴル語の影響を受けた口語)の実際の発音を高い精度で再現できる。これにより、中期モンゴル語から近代への移行期における言語変化の過程を追跡することが可能となる。
現代においても、東アジアの多言語状況と清朝期における言語接触の実態を示す重要な文化遺産として、比較言語学・辞書編纂史・東アジア史研究の基礎資料となっている。
基本情報:
- 正式名称: 蒙語類解(몽어유해、Mongeō Ruikai)
- 編纂機関: 司訳院(사역원、Sayŏgwŏn)
- 初版年代: 不明(推定17世紀後半~18世紀前半)
- 改訂刊行: 1768年(英祖44年)李億成による改訂、1790年(正祖14年)方孝彦による再改訂
- 言語構成: 中国語-韓国語-モンゴル語(ハングル音写)
- 収録語彙数: 5,317項(上巻1,916項、下巻1,926項、補編1,475項)
- 現存写本: 規章閣(ソウル大学校)、東京外国語大学附属図書館
編纂の背景
李氏朝鮮とモンゴル
李氏朝鮮は建国初期からモンゴルの興隆を警戒し、モンゴル語教育に注力した。これは高麗がモンゴル族に支配された歴史的経験に基づく。清朝成立(1644年)後、モンゴルに対する警戒はさらに強まった。
1637年の丙子胡乱終結直後、清の将軍・龍骨大は「モンゴル人たちがまだ都城にいて人を傷つけ物を略奪している」との報告を受け、即座にモンゴル軍を都城外に追い出した。この事件は朝鮮のモンゴル語学習の必要性を象徴している。
司訳院と「蒙学三書」
司訳院は李氏朝鮮の国家機関として、外国語教育と通訳養成を担当した。『蒙語類解』は『蒙語老乞大』(会話体教材)、『捷解蒙語』(入門書)とともに「蒙学三書」と呼ばれる:
- 『蒙語老乞大』 – 会話体モンゴル語教材
- 『捷解蒙語』 – モンゴル語入門書(翻訳付き)
- 『蒙語類解』 – 分類語彙辞典
内容と構成
全体構成
本書は上巻・下巻・補編・語録解の4部構成:
上巻(상권): 天文・時令・地理など27門、1,916項
下巻(하권): 田農・米穀・菜蔬など27門、1,926項
補編(보편): 天文補・時令補など48門、1,475項
語録解(어록해): 巻末の簡易解説
小沢重男は補編の語彙文を含めると総語彙数は5,500語以上と推定している。
語彙配列の体系
語彙は意味分類別に配列される。天文・地理・人体・親族・時間・動植物・衣服・武器など、13~14世紀の多言語辞書に共通する分類体系を採用している。この配列方式は、元朝中国の『至元訳語』、イル・ハン朝イランのイブン・ムハンナー語彙集と顕著な類似性を示す。
言語学的価値
ハングル転写の重要性
『蒙語類解』の最大の特徴は、モンゴル語の音声をハングルで転写している点である。
音韻記録の精度
ハングルは表音文字として優れているため、18世紀から19世紀にかけてのモンゴル語(ハルハ・モンゴル語の影響を受けた口語)の実際の発音を高精度で記録する。たとえば、モンゴル文字では区別されない音素が、ハングル転写では明確に示される。
転写方式の基礎
『十二字頭文』のハングル転写方法を基礎とし、満蒙文辞典のモンゴル語標音方式を参考にした標記法を採用する。モンゴル文字の正字法規則に従うため、一部の語彙に附加標注を施した。
言語資料としての価値
17世紀・18世紀の他の文献に見られる言語実態と類似した特徴を示し、中期モンゴル語から近代への移行期の言語変化を追跡できる唯一の資料である。
比較言語学への貢献
本辞典は、モンゴル語だけでなく韓国語と中国語を研究する上でも重要な資料である。三言語が併記されているため、東アジアにおける言語接触と通訳制度の実態を知ることができる。
現存写本と所蔵機関
現存写本
現存する『蒙語類解』は2部のみ:
規章閣図書(규장각) – ソウル大学校規章閣韓国学研究院所蔵(1790年版)
東京外国語大学附属図書館 – 日本所蔵
規章閣本と東京外大本は同じ版本を筆写したものと推定される(脱落・不鮮明箇所が同一)。
影印出版
- 1971年 – ソウル大学校出版部(規章閣所蔵本影印)
- 1986年 – 大提閣(대제각)
- 1995年 – 弘文閣(홍문각)
- 2006年 – ソウル大学校規章閣韓国学研究院「規章閣資料叢書・語学編8」(『捷解蒙語』とともに)
デジタルアクセス
無料アクセス可能な資料:
Wikimedia Commons: 蒙語類解 V1巻のスキャンPDFが無料公開
- File ID: CNTS-00047689265_2_蒙語類解.pdf
- 直接URL: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:CNTS-00047689265_2_蒙語類解.pdf
学術機関データベース:
- 規章閣原文検索サービス: https://kyudb.snu.ac.kr/
司訳院類解辞書シリーズ
『蒙語類解』は司訳院が編纂した多言語辞書シリーズの一部:
- 『訳語類解』(역어유해) – 中国語(漢語)学習用
- 『同文類解』(동문유해) – 満州語学習用
- 『蒙語類解』(몽어유해) – モンゴル語学習用
- 『倭語類解』(왜어유해) – 日本語学習用
このシリーズは、李氏朝鮮の組織的な外国語教育政策を示している。
学術的意義
- 18世紀モンゴル語音韻研究 – 唯一無二のハングル音声記録による当時の口語発音の復元
- 中期モンゴル語から近代への移行期 – 言語変化の過程を示す重要な証拠
- 東アジア多言語状況 – 清朝期における言語接触と通訳制度の実態
- 比較言語学 – 満州語・中国語・韓国語との対照研究の基礎資料
- 辞書編纂史 – 東アジアにおける語彙分類法と辞書編纂技術の発展
比較:同時代の多言語モンゴル語資料
| 資料名 | 年代 | 地域 | 文字体系 | 言語組合せ |
|---|---|---|---|---|
| ライデン写本 | 1343年 | イスラム圏 | アラビア文字 | モンゴル-ペルシャ-アラビア |
| ジョージア年代記 | 14世紀 | コーカサス | ジョージア文字 | ジョージア語中のモンゴル語 |
| 『蒙語類解』 | 1768年 | 朝鮮半島 | ハングル | 中国語-韓国語-モンゴル語 |
| 華夷訳語 | 1382年 | 中国(明朝) | 漢字 | 中国語-モンゴル語 |
研究文献
日本語文献
- 小澤重男「モンゴル語の辞書」、『世界の辞書』、研究社、1992年
韓国語文献
- 한국민족문화대백과사전「몽어유해(蒙語類解)」
- Daoruna (2023). “≪蒙語類解≫蒙古语语音学特征补论”、『몽골학』64、韓国モンゴル学会
関連項目
- 華夷訳語 – 明代の中国語-モンゴル語対訳語彙集
- 北虜訳語 – 16世紀のモンゴル語・中国語対訳
- 司訳院 – 李氏朝鮮の通訳養成機関
- 東アジア多言語辞書の伝統 – 元明清朝の語彙集編纂
最終更新: 2025年11月28日
執筆: Itako (itako999.com)
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