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ラスール朝の6ヶ国語辞典

📅 2006.01.12 · 🏷️ モンゴル語辞書の話 ⏱️ 31 min read

概要

14世紀にイエメンのラスール朝で編纂された、アラビア語-ペルシャ語-トルコ語-ギリシャ語-アルメニア語-モンゴル語の6言語対訳語彙集。正式名称は”The King’s Dictionary: The Rasulid Hexaglot”(王の辞典:ラスール朝6言語辞典)。6言語すべてがアラビア文字で表記される独特の多言語辞書であり、収録語彙は約7,300語に及ぶ。編纂者はラスール朝第7代スルタン、アル・マリク=アル・アフダル=アル・アッバース(Al-Malik al-Afdal al-Abbas、在位1363~1377)である。本辞典は、同スルタンによる学術百科全書的著作『Fuṣūl Majmūʿa fī l-Anwāʾ wa-l-Zurūʿ wa-l-Ḥiṣād』の一部を構成する。

編纂の背景

ラスール朝について

ラスール朝(1229~1454)は、もともとテュルク系の出自を持つ軍事貴族の家系である。祖となるムハンマド・ブン・ハルーンは12世紀にアッバース朝カリフに仕えて「ラスール(rasūl、使者)」の異名を得た。一族はビザンツ領からテュルクメン地域に移住してオグズ諸部族と通婚し、テュルク化した後、アイユーブ朝に仕えて12世紀後半にイエメンへ進出した。アイユーブ朝の衰退後、1229年にヌール・アッディーン・アル・ガッサーニーが独立し、アッバース朝カリフ・ムスタンスィルから正統性の承認を得てイエメンの支配者となった。

ラスール朝は首都タイッズを中心に、ティハーマ(紅海沿岸平野)からサナアに至る地域、さらに時にはオマーンの一部まで支配下に置いた。港湾都市アデンを掌握することで、インド洋交易と東西貿易の要衝として繁栄した。中国・南アジア・東南アジアからの香辛料・香料・織物がアデンを経由して地中海世界へ運ばれ、逆にエジプト・北アフリカの織物・鉛・コールなどが東方へ輸出された。ラスール朝はマムルーク朝エジプトと密接な関係を保ち、多くの官僚や学者がエジプトで教育を受けた。

編纂者アル・アフダル・アル・アッバース

本辞典の編纂者アル・マリク・アル・アフダル・アル・アッバース(1363~1377在位)は、武人としてよりも学者として名を残した君主である。治世中、ティハーマ地方の反乱やザイド派イマームの侵攻に直面したが、学術活動に情熱を注いだ。

彼の主著『Fuṣūl Majmūʿa fī l-Anwāʾ wa-l-Zurūʿ wa-l-Ḥiṣād』(「天文・農業・収穫に関する諸章の集成」)は、学術的・実用的・娯楽的な論考を集めた百科全書的著作(majmūʿa)である。天文学・占星術、暦法体系、農業、畜産、戦争技術、軍事用語、宮廷儀礼、健康・医学、食事、地理、系譜学、財政問題、政治理論など多岐にわたる主題を扱い、その中に本辞典が含まれている。また、同一写本にはアラビア語-エチオピア語の簡易語彙集も収録されている。

こうした知的関心は、ラスール家の伝統であった。先代の君主たちも学術活動を奨励し、マムルーク朝やイル・ハン朝との文化交流を通じて、当時のユーラシア世界の知的潮流に接していた。

言語構成と編纂方法

収録言語

本辞典は以下の6言語を収録する。すべてアラビア文字で表記される点が特徴である:

  1. アラビア語(原文言語)

  2. ペルシャ語(イラン・中央アジアの共通語)

  3. トルコ語(キプチャク系・オグズ系の混合)

  4. ギリシャ語(アナトリア-キプロス方言)

  5. アルメニア語(キリキア・アルメニア方言)

  6. モンゴル語(イル・ハン朝領内のモンゴル語、オグズ語からの借用語を含む)

語彙配列の体系

語彙は意味分類別に配列されており、これは13~14世紀の多言語辞書に共通する特徴である。主要な分類項目は以下の通り:

  • 天文・地理

  • 一般語彙

  • 人体

  • 親族名称

  • 時間・季節

  • 地理的特徴・自然現象

  • 建築・道具

  • 植物・食物・飲料

  • 衣服・織物

  • 貴重品

  • 動物・昆虫・鳥類

  • 色彩

  • 武器・馬具

  • 数詞・度量衡

  • 職業

  • 病名

この配列方式は、元朝中国の『至元訳語』、イル・ハン朝イランのイブン・ムハンナー語彙集、マムルーク朝エジプトのキプチャク語辞書類と顕著な類似性を示す。これはモンゴル帝国の行政言語実践が広域に影響を与えたことを示唆する。

資料源

本辞典は複数の既存語彙集を編纂した集成(pastiche)である。写字生の誤記が散見されることから、何らかの原本が存在したことは明らかである。

ギリシャ語とアルメニア語の部分は、文語ではなく口語方言に基づく。地中海東部地域、特にキリキア・アルメニアやアナトリア沿岸部、あるいはキプロスに由来する可能性が高い。これらの地域ではギリシャ系住民とアルメニア系住民が共存し、テュルク系君侯に仕える者も多かった。ラスール朝の記録には「ルーミー人」(アナトリア出身者)の名が見え、また奴隷として連れてこられたギリシャ系・アルメニア系の女性についての記述もある。

テュルク語部分は、キプチャク系・オグズ系・ホラズム系の要素を含む混合語である。モンゴル語部分は、イル・ハン朝領内で使用されたモンゴル語であり、テュルク語(特にオグズ語)からの借用語を多数含む。これらはマムルーク朝やイル・ハン朝の多言語行政環境で編纂された語彙集を経由して、イエメンにもたらされたと考えられる。

写本の伝来と発見

原写本

本辞典を含む写本(codex)は、現在もイエメン国内の個人所蔵のまま保管されており、直接閲覧は困難である。この状況はイエメンの多くの写本資料に共通する問題である。

西洋学界への紹介

本辞典は1960年代後半、レバノンの学者マフムード・アル・グール(Mahmud al-Ghul)が写本のマイクロフィルムをコロンビア大学のテュルク学教授ティボール・ハラシ=クン(Tibor Halasi-Kun、1914-1991)に託したことで、西洋学界に知られるようになった。ハラシ=クンは長年マムルーク朝のキプチャク語文献研究に従事しており、本辞典の学術的価値を即座に認識した。

1974年、ハラシ=クンは国際共同研究チームを組織し、翻訳プロジェクトを開始した。チームの構成は以下の通り:

  • Tibor Halasi-Kun(コロンビア大学教授):テュルク語担当、オスマン史・キプチャク語文献学

  • Peter B. Golden(ルトガース大学教授):ギリシャ語担当・編集主幹、中央アジア・中東史

  • Louis Ligeti(1902-1987、ハンガリー科学アカデミー副総裁、ブダペスト大学内陸アジア言語学科主任):モンゴル語担当

  • Edmund Schütz(1916-1999、ハンガリー科学アカデミー研究教授):アルメニア語担当、アルメニア・キプチャク語年代記研究

アメリカ学術協会(American Council of Learned Societies)の助成を得て、1970年代にはハンガリー・グループとアメリカ・グループが定期的に合同会議を開いた。ハラシ=クンとゴールデンは毎週会合を持ち、資料の検討と議論を重ねた。

研究の中断と再開

1980年代初頭には基本的な転写・翻訳作業が完了したが、その後、他のプロジェクトへの関与や主要メンバーの相次ぐ死去により、作業は長期間停滞した。リゲティが1987年に、ハラシ=クンが1991年に世逝した。

一方、人類学者ダニエル・ヴァリスコ(Daniel Varisco)は1978年に写本を撮影しており、イエメン研究の泰斗R・B・サージェント(R. B. Serjeant、1993年没)とともに、全写本のファクシミリ出版を計画していた。これは1998年、G・レックス・スミス(G. Rex Smith)の編集により実現した。

1992年、ゴールデンとヴァリスコが接触し、アメリカ・イエメン研究所(American Institute for Yemeni Studies)の支援により、テキストのコンピュータ化が実現した。その後、ゴールデンが編集主幹を引き継ぎ、シュッツとともに作業を継続した。チンギス朝ユーラシアの制度史・文化史研究者トーマス・T・アルセン(Thomas T. Allsen、ニュージャージー大学)が、本辞典の文化的文脈を論じる序論を寄稿した。

1999年11月、出版直前にシュッツが逝去し、アルメニア語部分の最終校訂は未完に終わった。

出版

翻訳開始から四半世紀を経て、2000年6月、ブリル社(Brill、ライデン)より出版された。この版はアラビア語(原文とローマ字転写)と英訳を含む。ペルシャ語・テュルク語・ギリシャ語・アルメニア語・モンゴル語の詳細な個別研究は、別巻として刊行予定とされた(ゴールデンによるギリシャ語研究は1985年に既刊)。

言語学的価値

テュルク語研究への貢献

本辞典のテュルク語部分は、キプチャク系とオグズ系の要素を併せ持ち、14世紀のマムルーク朝語彙集に典型的な混合状態を示す。一部にホラズム系(初期チャガタイ語)の特徴も認められる:

  • 音韻特徴:語頭y > gの変化(例:adaq「足」< ayaq)、散発的なq > bの変化(例:yahtiɣ「光」< yaqtuɣ)

  • 語彙:キプチャク系(例:til「舌」、köz「目」)とオグズ系(例:dil「舌」、göz「目」)の併存

  • ホラズム的要素:adaq「足」、quduruq「羊の尾」、edrim「鞍下敷き」

この混合状態は、ジョチ・ウルス(キプチャク草原)、イル・ハン朝(イラン・アゼルバイジャン)、アナトリアの多様なテュルク語環境を反映する。14世紀はキプチャク語とオグズ語を区別する音韻変化(語頭k- vs. g-t- vs. d-b- vs. v-など)が進行中の過渡期であり、マムルーク朝の語彙集は両形を併記することが多い。

モンゴル語研究への貢献

本辞典のモンゴル語は、イル・ハン朝領内のモンゴル語を反映し、中期モンゴル語の音韻と語彙を知る上で貴重な資料である。特筆すべきは、テュルク語(主にオグズ語)からの借用語の存在である:

  • 直接借用:baldir「脛」(< オグズbaldïr、キプチャクbaltïr)、saɣlïq「乳牛」(< テュルクsaɣlïq「乳を出す家畜」)、qablan「豹」(< テュルクqaplan)、yaɣan「象」(< テュルクyaɣan、標準モンゴル語形はjaɣan)

  • カルク借用:deltü čina「ハイエナ」(直訳「狂った狼」、deltü < テュルクdeli「狂った」+ モンゴル形容詞接尾辞-tü)

これらはイル・ハン朝におけるモンゴル人のテュルク化・イスラーム化の言語的証拠である。モンゴル支配層は、分散配置された駐屯地でテュルク系遊牧民と接触・通婚し、次第に言語的同化を遂げた。A・P・マルティネスの研究によれば、一般兵士層のテュルク化・イスラーム化は早く、孤立したモンゴル貴族層は14世紀後半まで母語を保持したとされる。

ギリシャ語研究への貢献

本辞典のギリシャ語は、中世ギリシャ口語方言の最大規模の転写資料である。文語ではなく、アナトリア-キプロス方言群に属する口語に基づく。

主要音韻特徴:

  • 重子音の変化:kt, pt > xt, ft(例:ohto「8」< 古典oktō)、pt, ft > ft(例:afton「焼いた」< 古典optōs)

  • 古形の保存:eyidi「牝山羊」(< 古典aigidon < aix、現代yidi「山羊」)、erkos「膿」(< 古典helkos「傷、潰瘍」)

  • アナトリア-キプロス方言的特徴:語末-os, –aが-on, –anになる傾向(例:glosan「舌」、標準形glōssa、現代キプロス方言にも残存)

  • テュルク語借用語の存在:dagarjuki「背嚢」(< テュルクtaɣarčuq)、takas「山羊」(< テュルクteke)

ビザンツ帝国のユダヤ系住民によるヘブライ文字ギリシャ語転写や、ジャラール・アッディーン・ルーミー(1207-1273)とその子スルタン・ヴェレド(1226-1312)が残したギリシャ語詩句(アラビア文字、コンヤ方言)を除けば、中世ギリシャ方言のまとまった転写資料は極めて少ない。本辞典は、13世紀のビザンツ帝国縮小期・セルジューク朝支配下のアナトリア・ギリシャ語の実態を伝える第一級資料である。

アルメニア語研究への貢献

本辞典のアルメニア語は、キリキア・アルメニア(小アルメニア)の方言に基づく。古典アルメニア語(グラバル)ではなく、中期アルメニア語(12~16世紀)の口語を反映し、西アルメニア語の特徴を示す:

主要音韻特徴:

  • 母音の合流:ե(語頭ye-, e)とէ(ē)がeに合流(ただし語頭ではեye-のまま)

  • 子音推移(全項目ではないが多数):

    • 無声音 > 有声音:p > b, t > d, k > g

    • 有声音 > 無声音:b > p, d > t, g > k

    • 帯気音 > 無帯気音:pʿ > p, tʿ > t, kʿ > k

    • 破擦音の変化:j > č, ǰ > j

  • վւの合流

これらの特徴は、現代西アルメニア語(かつてアナトリアで話され、現在はトルコ国内・近東・ディアスポラで使用)の直接の前段階を示す。

ユーラシア的文脈

モンゴル帝国の「言語的コスモポリタニズム」

本辞典は孤立した存在ではなく、13~14世紀にモンゴル帝国が促進した、ユーラシア規模の言語研究・多言語辞書編纂運動の一環である。チンギス・カンの帝国は、史上初めてユーラシア大陸を横断する相互連結ネットワークを確立し、経済・文化・技術・地理・言語情報が流通する「基礎情報回路」(S. A. M. Adshead)を形成した。

モンゴル政権は言語能力を高く評価し、多言語話者を積極的に登用した。例えばイル・ハンのガザン(在位1295-1304)は、モンゴル語のほか、アラビア語・ペルシャ語・ヒンディー語・カシミール語・チベット語・中国語・フランク語など複数の言語を解したと伝えられる。通訳(モンゴル語kelemeci)は高い地位を占め、カラコルムの宮廷では「ペルシャ語、ウイグル語、中国語、チベット語、タングート語などあらゆる種類の書記」が勅令を各地の言語・文字で発給したとジュヴァイニーは記録している。

同時代の類似辞書群

本辞典と同時代、ユーラシア各地で多言語辞書が編纂された:

東アジア:

  • 『至元訳語』(モンゴル語-中国語、フビライ治世、1260-1294)

  • 『華夷訳語』(モンゴル語、1389年、大都)

  • 高麗/朝鮮:司訳院の多言語教育施設(モンゴル語・中国語・女真語・日本語、1276年設立)

中央アジア・イラン:

  • ザマフシャリー『ムカッディマト・アル・アダブ』(アラビア語-ペルシャ語、12世紀原本、14世紀にホラズム・テュルク語とモンゴル語が追加)

  • イブン・ムハンナー『Kitāb Hilyat al-Insān』(アラビア語-ペルシャ語-テュルク語-モンゴル語、14世紀、イラン)

マムルーク朝エジプト:

  • 『Kitāb Majmūʿ Tarjumān Turkī wa-ʿAjamī wa-Mughālī wa-Fārsī』(テュルク語-アラビア語、モンゴル語-ペルシャ語、1343年)

  • アブー・ハイヤーン・グラナーティー『Kitāb al-Idrāk li-Lisān al-Atrāk』(テュルク語文法・語彙、14世紀前半)

  • 『al-Tuhfat al-Zakiyyah fī l-Lughat al-Turkiyyah』(キプチャク語辞典・文法、14世紀)

黒海地域・東欧:

  • 『Codex Cumanicus』(ラテン語-クマン語-ペルシャ語、クリミア、13世紀末~14世紀、商人と宣教師による)

  • 『Толкование языка половецкого』(ポロヴェツ語語彙集、ロシア、13世紀か)

インド:

  • バドル・アッディーン・イブラーヒーム『Farhang-i Zafān-gūyā』(ペルシャ語中心の7言語辞典、アラビア語・テュルク語・アラム語・ギリシャ語・ラテン語・シリア語、14世紀)

これらは、モンゴル帝国が生み出した多民族・多言語行政環境において、言語能力が政治的・経済的価値を持ったことを反映している。通訳・翻訳官は急速に昇進し、言語学習施設が各地に設立された。辞書の配列様式(天文→地理→人体→動物→数詞など)の類似性は、共通のモデルまたは並行的な知的様式の収斂を示唆する。

イエメンとユーラシア世界

イエメン、特にアデン港は、古代以来インド洋交易の要衝であった。1世紀の『エリュトラー海案内記』はアデンを「幸福なアラビア」と呼び、インドとエジプトの船が集まる場所と記録している。10世紀のムカッダシーは「中国への入口、イエメンの港、マグリブの穀倉、交易品の宝庫」と評した。マルコ・ポーロ(13世紀後半)は「インドの商人が全ての商品を持ち込む海上最良の港」と記し、イブン・バットゥータ(14世紀)はインド沿岸諸都市からの定期船の寄港地として言及している。

こうした長年の東西交流を背景に、イエメンはモンゴル帝国の直接支配を受けなかったものの、その広域文化圏に組み込まれた。ラスール朝はマムルーク朝を通じてイル・ハン朝やジョチ・ウルスの情報に接し、多言語環境の語彙集が写本としてもたらされた可能性が高い。本辞典は、この「基礎情報回路」の末端における受容と再編集の産物である。

研究史

初期の注目

本辞典は1980年代初頭、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『Aramco World Magazine』などで「王の辞典」として報道され、一般にも知られるようになった。

ゴールデンによるギリシャ語研究

ピーター・B・ゴールデンは、1985年に論文”The Byzantine Greek Elements in the Rasulid Hexaglot”(『AEMAe』第5巻)を発表し、ギリシャ語部分の詳細な分析を提示した。これは本辞典研究の最初の本格的成果である。

2000年版の刊行

Brill社から刊行された2000年版は、アラビア語原文(アラビア文字とローマ字転写)と英訳を含む。ゴールデンの詳細な注釈と、アルセンによる歴史的・文化的文脈の解説が付される。個別言語の詳細研究(テュルク語、モンゴル語、アルメニア語)は別巻として刊行予定とされた。

その後の研究展開

リゲティによるモンゴル語部分のフランス語草稿が出版準備中である。ゴールデンはテュルク語の詳細研究を継続している。各言語の専門家による個別研究の蓄積により、本辞典の全貌が次第に明らかになりつつある。

主要研究文献

写本ファクシミリ版

  • Varisco, Daniel M., and G. Rex Smith (eds.). The Manuscript of al-Malik al-Afdal al-ʿAbbās b. ʿAlī b. Dāʾūd b. Yūsuf b. ʿUmar b. ʿAlī Ibn Rasūl: A Medieval Arabic Anthology from the Yemen. E. J. W. Gibb Memorial Trust, Warminster, 1998.

英訳・注釈版

  • Golden, Peter B., et al. The King’s Dictionary: The Rasulid Hexaglot. Fourteenth Century Vocabularies in Arabic, Persian, Turkic, Greek, Armenian and Mongol. Translated by Tibor Halasi-Kun, Peter B. Golden, Louis Ligeti, and Edmund Schütz. With introductory essays by Peter B. Golden and Thomas T. Allsen. Edited with notes and commentary by Peter B. Golden. Handbook of Oriental Studies, Section 8: Central Asia, vol. 4. Brill, Leiden-Boston-Köln, 2000.

個別言語研究

  • Golden, Peter B. “The Byzantine Greek Elements in the Rasulid Hexaglot.” Archivum Eurasiae Medii Aevi 5 (1985 [1987]): 41-166.

関連研究

テュルク語文献学:

  • Halasi-Kun, Tibor. “Kipchak Turkic Philology X: The at-Tuhfah and its Author.” Archivum Eurasiae Medii Aevi 5 (1985 [1987]): 167-178.

  • Karamanlıoğlu, Ali Fehmi. Kıpçak Türkçesi Grameri. Ankara: Türk Dil Kurumu, 1994.

  • Toparlı, Recep (ed.). Ed-Durretü’l-Mudiyye fi’l-Lugati’t-Türkiyye. Erzurum, 1991.

モンゴル語文献学:

  • Poppe, Nicholas N. Mongol’skij slovar’ Mukaddimat al-Adab, I-II. Trudy Instituta Vostokovedenija, XIV. Moscow-Leningrad, 1938.

  • Ligeti, Louis. “Un vocabulaire mongol d’Istanbul.” Acta Orientalia Hungarica 14 (1962): 3-99.

マムルーク朝の言語政策:

  • Flemming, Barbara. “Ein alter Irrtum bei der chronologischen Einordnung des Targumanī Turki wa-ʿArabi wa-Mughāli.” Der Islam 44 (1968): 226-229.

  • Ermers, Robert. Arabic Grammars of Turkic. Leiden: Brill, 1999.

モンゴル帝国と言語:

  • Allsen, Thomas T. Mongol Imperialism: The Policies of the Grand Qan Möngke in China, Russia, and the Islamic Lands, 1251-1259. Berkeley: University of California Press, 1987.

  • Allsen, Thomas T. “Ever Closer Encounters: The Apportionment of Culture and Peoples in the Mongol Empire.” Journal of Early Modern History 3 (1997): 2-23.

  • Martinez, A. P. “Changes in Chancellery Languages and Language Change in General in the Middle East, with Particular Reference to Iran in the Arab and Mongol Periods.” Archivum Eurasiae Medii Aevi 7 (1987-1991): 103-152.

ラスール朝史:

  • Smith, G. Rex. “The Ayyubids and Rasulids: The Transfer of Power in 7th/13th Century Yemen.” Islamic Culture 43/3 (1969): 175-188. Reprinted in his Studies on the Medieval History of the Yemen and South Arabia. London: Variorum, 1997.

  • Smith, G. Rex. “Yemenite History: Problems and Misconceptions.” Proceedings of the Seminar for Arabian Studies 20 (1990): 129-139.

  • Smith, G. Rex. “Rasulids.” Encyclopaedia of Islam, 2nd ed., vol. 8, fasc. 137-138: 455-457.

比較研究:

  • Sinor, Denis. “Interpreters in Medieval Inner Asia.” Asian and African Studies 16 (1982): 293-320.

  • Dankoff, Robert. The Turkic Vocabulary in the Farhang-i Zafān-gūyā. Papers on Inner Asia, no. 4. Bloomington: Indiana University, 1987.

関連項目

補注

語彙配列の比較

本辞典の語彙配列は、モンゴル帝国圏の他の多言語辞書と顕著な類似性を示す。以下は主要辞書の配列順序の比較である:

ラスール朝6言語辞典 至元訳語(元朝) ムカッディマト(中央アジア) マムルーク・テュルク語辞典
天文・地理 天文 天文 天文・地理
一般語彙 地理 地理 人体
人体 人体 人体 動物
親族 時間・季節 時間 親族
時間・季節 動物 動物 時間
動植物 建築 植物 数詞
建築・道具 道具 道具 建築
食物・飲料 食物 食物 食物
衣服 衣服 衣服 衣服
貴重品 貴重品 貴重品 貴重品
数詞 数詞 数詞 色彩

この共通性は、共通の原型モデルの存在、またはモンゴル帝国の行政文化が生み出した知的様式の収斂を示唆する。

現代への影響

本辞典の研究は、以下の分野に継続的な影響を与えている:

  1. 歴史言語学:14世紀の諸言語の音韻・語彙の実態解明

  2. 接触言語学:モンゴル帝国下の言語接触・借用・混合言語の研究

  3. 辞書編纂史:前近代の多言語辞書編纂技術と知的ネットワーク

  4. 文化史:言語能力の社会的価値と知識人の移動

  5. イエメン研究:ラスール朝の国際的知的環境の解明


最終更新: 2025年11月8日 執筆: Itako (itako999.com) 協力: Claude (Anthropic)


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