食文化の基本構造
寒冷乾燥の草原・山岳環境に適応した「肉+乳+小麦粉」を三本柱とする食体系である。遊牧生活に即した保存技術(乾燥・発酵・燻製)が高度に発達し、特に乳製品加工技術は世界的にも独特な発展を遂げている。
乳製品体系:ツァガーン・イデー(白い食べ物)
モンゴル語で「白い食べ物」を意味し、乳製品全般を指す文化概念である。遊牧民は乳の成分を段階的に分離・加工し、多様な製品を生み出す技術体系を確立している。
家畜別の乳質特性
各家畜の乳は成分比率と用途が異なる(Y.ツェヴェル『モンゴルの白い食べ物』1959)。
| 家畜 | 濃度 | 脂肪分離量 | 蛋白質 | 糖分 | 水分 | 茶への適性 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 羊 | 最濃厚 | 少 | 多 | 多 | 少 | 最良 | 発泡性良好 |
| 山羊 | 濃厚 | 少 | 多 | 中 | 少 | 良 | 鋭い風味 |
| ヤク | 濃厚 | 最多 | 多 | 多 | 中 | 中 | 高脂肪・鋭い風味 |
| 牛 | 中濃度 | 中 | 中 | 中 | 中 | 中 | バランス型 |
| 馬 | 稀薄 | 中多 | 中 | 少 | 多 | 不良 | アイラグ専用 |
| ラクダ | 濃厚 | 極少 | 多 | 少 | 中 | 最良 | 茶に最適 |
医療的効能:羊・山羊の生乳は解毒作用が最も強い。ラクダ乳は湿疹・呼吸器疾患に有効。馬乳酒は栄養・ミネラルに富む。
乳の加工技術体系
第一段階:クリーム分離(өрөм байлгах)
基本技法:沸騰直前まで加熱した乳を浅い容器に分注し、冷却してクリーム層を形成させる。
容器別収量:小容器に分散させるほど収量が増加する。再加熱すると更にクリーム層が厚くなる。
温度管理:
- 過熱:クリームが溶解し分離不能
- 過冷:クリームが固化し分離不能
- 最適:微温状態で一昼夜静置
クリーム製品群:
| 製品名 | 製法 | 用途 | 保存性 |
|---|---|---|---|
| ウルム/オロム (öröm) | 生クリーム層 | そのまま食用・茶に溶解 | 短期 |
| 乾燥オロム | オロムを薄く延ばして乾燥 | 儀礼菓子・贈答品 | 長期 |
| ウル・ボブ (ul boov) | オロムに穀物・果実を挟み層状成形 | ツァガーンサル供饌 | 中期 |
第二段階:バター抽出
抽出法:
- 攪拌法:乳・アイラグを専用容器で攪拌し、脂肪を凝集させる
- 煮沸法:収集したオロムを煮沸して脂肪を分離する
シャル・トス (shar tos):澄ましバター(ギー相当)
| 原料別 | 香り | 色 | 風味 | 特性 |
|---|---|---|---|---|
| 羊・山羊(ボグ・マル) | 弱 | 淡黄 | 最良 | 最高品質 |
| 牛・ヤク | 強 | 黄 | 良 | 濃厚 |
| ヤク単独 | 極強 | 濃黄 | 良 | 高脂肪 |
| ラクダ | 弱 | 白 | 良 | 清澄 |
| アイラグ由来 | 弱 | 褐色 | 独特 | 発酵風味 |
医療的価値:数年熟成したシャル・トスは外用薬として重視される。凍傷・皮膚疾患の治療に用いる。
ツォヴ(残留固形分):シャル・トス抽出後の残渣。穀物粉・ジムスギー・アールール粉を混ぜて「ツァガーン・トス(白いバター)」として消費する。肉食の毒を中和する効能があるとされる。
第三段階:発酵乳製品
タラグ(tараг):発酵乳
製法:
- 脱脂後の微温乳に発酵種(前日のタラグ/ホールモグ/アールール粉)を混入
- 容器に密封し2-4時間静置
- 固化後、表面を平滑化して完成
種の量と品質の関係:
- 種が多い→強酸性・品質低下
- 種が少ない→発酵不全
- 種が強酸性→少量で可
- 温度管理:過熱で凝固異常、過冷で発酵不全
家畜別特性:
- 羊タラグ:最も酸味が強く風味良好。食味最良だが効能は中程度
- 牛タラグ:中程度の酸味。最も整腸効果が高い
- 山羊タラグ:牛に近い。湿疹・皮膚疾患に有効
医療効能:肉食の毒素中和、湿疹治療、肺疾患・喘息改善。新鮮なものほど効能が高い。
ホールモグ(hoormog)
タラグを乳で希釈し発酵を進めた飲料。一部地域では「タラギーン・ホールモグ」と呼ぶ。
ウンダー(undaa)
牛乳タラグを乳で希釈し日光下で温め、発酵・発泡させた飲料。湿疹・肺疾患・喘息に極めて有効とされる。消化効能が最も高い。
アイラグ(airag)
牛・羊・山羊のタラグ/ホールモグを大型容器(ホホール/トルフ)に貯蔵し、発酵種を加えた乳で希釈・攪拌を繰り返して発酵を進めた飲料。
- 牛アイラグ(ükhrii airag):牛タラグ由来
- 羊アイラグ(khonii airag / baga maliin airag):羊・山羊タラグ由来
馬乳酒・駱駝乳酒:
- 馬乳酒(güünii airag):馬乳は自然発酵しないため、強酸性の発酵種で強制発酵させる。肺疾患・肉食毒素の中和に最も有効。
- 駱駝乳酒(ingenii airag):駱駝乳を同様に発酵。強い風味で効能良好。
文化的地位:馬乳酒は「白い食べ物」の中で最も尊貴な食品とされ、祝祭・宗教儀礼・公的行事で必ず供される。UNESCO無形文化遺産登録。
第四段階:乾燥乳製品
エーズギー(ээзгий)
製法:発酵乳(タラグ/ホールモグ)を煮詰めて黄色水分(шар сүү)を除去するまで攪拌し、平板に延ばして日光乾燥。
種類:
- 羊エーズギー:風味最良
- 牛エーズギー:羊に劣る
- 混合エーズギー:一般的
用途:そのまま食用、またはオロム・トス・ツォヴの混合材料として消費。単独での多量摂取は消化に負担。
ビャスラグ(бяслаг):発酵乳圧搾品
製法:
- 乳を発酵させて固形分(ээдэм)を生成
- 布で濾過し圧搾して黄色水分を除去
- 方形に成形して乾燥
形状別名称:
- ビャスラグ:方形(儀礼用は必ず方形)
- ブーン・ビャスラグ:円形
- ズルヘン・ビャスラグ:心臓形
種類:
- 生乳ビャスラグ(түүхий сүүний бяслаг):脱脂しない乳で製造。高脂肪で風味最良
- 脱脂乳ビャスラグ(болсон сүүний бяслаг):オロム除去後の乳で製造
薄切りして乾燥させ長期保存する。生乳ビャスラグが最適。
アールール(aaruul):乾燥チーズ
製法:アールツ(濾過圧搾したタラグ残渣)を多様な形状に成形して乾燥。
形状別分類:
- ドゥルヴォルジン・アールール:方形切断
- ビャサルガン・アールール:布濾圧搾後に切断
- フルード:塊を糸で切断
- アトガマル・アールール:手で握り成形
- バズマル:指の間から絞り出し成形
- ホルホイ・アールール:穴開き器具から押し出し(虫形)
- メルヒー・アールール:4指で窪みを作り平板成形(蛙形)
- ゾースン・アールール:硬貨形
- ヘヴィーン・アールール:型押し成形
風味付加:乳・オロム・ツォツギー・砂糖・ブラム(飴)・ジムス(干し葡萄・アンズ・ナツメ等)を混入して多様化。
ツォルム(цөрөм)/タシュラガ(ташлага)
羊・山羊の生乳を容器に貯蔵し長期発酵させた保存食品。脂肪・蛋白質が均衡し、酸味が強く風味良好。アールール製造またはツォヴの混合材料とする。
ツォル:ツォルムから作ったアールール。
第五段階:混合加工品
| 製品名 | 原料構成 | 特徴 |
|---|---|---|
| ズーヒー (зөөхий) | 新鮮オロム+穀物粉+エーズギー | 煮込んで練り上げた甘味食品 |
| フトガムシ (хутгамш) | 液状オロム+エーズギー粉 | 混合ペースト |
| ボルゾン (борзон) | シャル・トス+エーズギー粉 | 高エネルギー混合食 |
蒸留酒体系
シミーン・アルヒ(乳蒸留酒)
原料:アイラグを蒸留釜(тогоо)で蒸留して製造。
蒸留法:
- 密閉蒸留(битүү нэрэх):蒸留釜に蓋型冷却器(бүрхээр)を載せ、内部に吊るした容器で凝縮液を回収
- 開放蒸留(задгай нэрэх):蓋型冷却器内に傾斜板(халбага)を設置し、溝(цорго)を伝わせて凝縮液を外部容器に導く
前処理:濃厚アイラグ(өтгөний айраг)を加熱し、冷アイラグと攪拌して脂肪を分離・除去してから蒸留する。過熱・過冷は品質低下を招く。
蒸留工程:蓋型冷却器上の小鍋(жалавч)に冷水を注ぎ、加熱蒸気を冷却。水を4-7回交換して段階的に留液を回収。
留分分類:
- オヒ(охь):初留(1-3回目)。最高品質・高アルコール
- アルヒ(архи):中留(3-6回目)。標準品質
- スヴス(сувс):後留(6回目以降)。低アルコール・水様
家畜別特性:
| 原料 | 風味 | 効能 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 羊・山羊アイラグ | 柔和 | 中程度 | ボグ・マルィン・アルヒ |
| ラクダアイラグ | 辛口 | 良好 | インゲニー・アルヒ |
| 馬アイラグ | 辛口 | 低い | グーニー・アルヒ |
| 牛アイラグ | 柔和・辛口 | 最良 | ウフリーン・アルヒ。消化効能最高 |
混合蒸留(бэсрэгийн архи):ラクダ・馬アイラグを他家畜アイラグと混合して蒸留。風味は良好だが効能は低い。
再蒸留酒:
- アルズ(арз):アルヒを再蒸留。極辛口・長期保存可
- シャルズ/ホルズ/ホル:順次再蒸留。伝統的には実施されない
回し蒸留(хариулан нэрэх / буцааж нэрэх):アルヒをアイラグと混合して再蒸留。品質が飛躍的に向上。
ダルス(дарс):アルヒ/シミーン・アルヒにジムス・香辛料・薬草を浸漬した薬用酒。慢性疾患治療に用いる。
ツァガー(цагаа)/アールツ(аарц)
ツァガー:蒸留後の残渣アイラグ/煮詰めたタラグ・ホールモグ。強酸性で風味・効能良好。湿疹治療に極めて有効。
ボズ(боз):ツァガーにアイラグ由来のシャル・トスを混ぜて煮込んだ飲料。腹部膨満・体力低下・発汗促進に有効。
シャルフマグ(шалхмаг):熱いツァガーに冷乳を注いだ飲料。微酸性で風味良好。
ジェーレム(ээрэм):蒸留釜の蓋内側に付着した凝固残渣。柔和な酸味。アールール製造またはそのまま食用。
アールツ(аарц):ツァガーを布濾過して黄色水分(шар сүү / шар ус)を除去した濃縮固形分。ツァガーより柔和で濃厚。アールール・フルード製造の主原料。乳で希釈して消費、または料理の混合材料とする。
乳茶体系
スーテー・ツァイ(suutei tsai):塩乳茶
モンゴル食文化の中心的飲料。茶葉+乳+塩の組み合わせ。
基本レシピ:
- 茶葉を水で煮出す
- 乳を加えて加熱
- 塩で調味
変種:
- スールテイ・ツァイ:羊尾脂(脂尾)を加えた高脂肪乳茶
- オロム乳茶:オロムを溶解した濃厚乳茶
- バンシタイ・ツァイ:小型餃子(バンシ)入り乳茶。食事として消費
乳の選択:羊・山羊・ヤク・牛・ラクダ乳を使用。馬乳は不適(泡立ちが悪い)。ラクダ乳が最適。
肉料理体系
羊を中心に、牛・ヤク・馬・ラクダ・山羊を地域条件に応じて利用する。
主要調理法と代表料理
石焼き・圧蒸系
- ホルホグ (khorkhog):焼け石+密閉鍋で圧蒸する伝統技法。肉・野菜を投入し密封。石が物理的な「圧と湿熱」を生み出す
- ブードゥグ (boodog):家畜の皮袋・腹腔を鍋代わりにする豪快調理
点心・餃子系
| 品目 | 調理法 | 特徴 |
|---|---|---|
| ブーズ (buuz) | 蒸す | ツァガーンサルの主役料理 |
| ホーショール (khuushuur) | 揚げる | ミートパイ状。都市部定番 |
| バンシ (bansh) | 茹でる/蒸す | 小型餃子。スープ・乳茶に投入 |
麺・粉物系
- ツイヴァン (tsuivan):太麺+肉野菜の炒め蒸し
- グリルタイ・シュル (guriltai shul):麺入りスープ
- バンタン (bantan):炒り粉団子のスープ
保存肉
ボルツ (borts):干し肉。冬季に製造し粉末化してスープに利用する長期保存食。
祝祭と儀礼食:ツァガーンサル
モンゴル旧正月の伝統的供饌体系。
主菜
- ウーツ (uuts):蒸し羊の背(地域により牛の胸骨=オウゥチュー)
- ブーズ:大量に準備される蒸し餃子
供饌
- ウル・ボブの奇数層盛り(3・5・7・9層)
- アールール/オロム/シャル・トスなどツァガーン・イデー
- スーテー・ツァイ
- 馬乳酒(最尊貴の飲料)
地域別食文化
西部:バヤン・ウルギー県
特徴:カザフ系住民の食文化圏
- カズィ (kazy):馬肉ソーセージ。部位別に kazy / shuzhyk / karta
- ベシュバルマク:カザフ系麺料理
北部・高地:フブスグル県
特徴:高地牧畜圏。ヤク乳製品の濃度・品質が高い
- 濃厚なオロム・シャル・トス
- 寒冷条件下の保存技術
南部:ゴビ砂漠周縁
特徴:ラクダ乳文化圏
- ホールモグ(ラクダ乳発酵飲料)
- 移動遊牧に適した高脂肪・高エネルギー食
都市部:ウランバートル
特徴:伝統+都市型アレンジの融合
- 食堂定番メニュー:ブーズ/ツイヴァン/ホーショール/グリルタイ・シュル/バンシタイ・シュル
乳製品の長期保存技術
生乳保存
基本原則:煮沸・攪拌の頻度が高いほど腐敗耐性が向上。羊・山羊乳が最も保存性良好。
技法:
- 攪拌保存:搾乳直後に煮沸し、3分の1を攪拌除去。残りを密閉容器で冷暗所保存→約1ヶ月保存可
- 茶殻添加:茶殻または粗塩を少量加えて煮沸し、3分の1を攪拌除去→約1ヶ月保存可
- 定期攪拌:毎日定時に煮沸・攪拌→無期限保存可
注意点:過度の攪拌は乳を稀薄化し、茶への展開性を低下させる。
粉乳製造
技法:
- 生乳に穀物(黄色飯・タタル蕎麦)を混ぜて煮沸
- エーズギー状に煮詰めて日光乾燥
- 粉砕・篩別・密閉保存
または
- 無鉄製容器で生乳を薄層加熱・乾燥
- 乾燥皮膜を反復製造
- 粉砕・篩別・密閉保存
復元法:粉乳を微温水で24時間以上浸漬。液状乳での浸漬が最良。
歴史的背景:粉乳製造は遊牧民には普及せず、都市住民・ラマ僧の間で局所的に実施された。
ビャスラグ保存
生乳ビャスラグを薄切り乾燥し、粉砕・篩別・密閉保存→無期限保存可。
混同注意:非モンゴル料理
モンゴリアンBBQ
台湾・台北で1950年代に考案された鉄板炒め料理。モンゴルの伝統料理ではない。
ジンギスカン(成吉思汗)
日本の羊焼肉料理。農水省も郷土料理として記載。モンゴル料理との混同は誤り。
食文化の本質
「焼肉=モンゴル料理」という短絡は実態と乖離している。実際の調理技法は茹でる・蒸す・石焼き圧蒸が中心である。乳製品体系が料理全体の「出汁と脂」を支える構造であり、ホルホグの熱石は物理的な「圧と湿熱」をもたらす調理ツールとして機能している。
クイックリファレンス:必須語彙
肉料理
ホルホグ/ブードゥグ/ブーズ/ホーショール/ツイヴァン/グリルタイ・シュル/バンタン/ボルツ
乳製品
アイラグ/タラグ/ホールモグ/ウンダー/アールール/エーズギー/ビャスラグ/アールツ/ツァガー/オロム/シャル・トス/スーテー・ツァイ
蒸留酒
シミーン・アルヒ/アルズ/ダルス/ボズ
儀礼菓
ウル・ボブ/ボールツォグ
地域特産
カズィ(西部)/ホールモグ(ゴビ圏)/ヤク乳製品(北部高地)
主要参考資料:
UNESCO無形文化遺産データベース
Я. Цэвэл『モンゴルの白い食べ物』(モンゴル人民共和国科学・高等教育委員会歴史研究所、1959年)
観光公式 “Taste of Mongolia”