2025-11-29 · モンゴル語文字の話

概要

ソヨンボ文字(Soyombo script / Swayambhu)は、1686年にハルハ・モンゴルの初代活仏ジェブツンダンバ・ホトクト1世(ザナバザル)によって創制された表音文字である。サンスクリット語の「スヴァヤンブー」(自ら生じたもの)を語源とし、モンゴル語、チベット語、サンスクリット語の三言語を統一的に表記することを目的として開発された。

本文字は、インドのランツァ文字(Lantsa script)をモデルとした優美で装飾的な正方形の字形を特徴とする。実用的な筆記には不向きであったため、行政文書や一般社会には普及しなかったが、寺院の装飾文字や印章用文字として愛用された。特に、文字体系の冒頭に置かれた「ソヨンボ・シンボル」は、民族の自立と自由の象徴として定着し、1911年のモンゴル独立革命以降、現代に至るまでモンゴル国の国旗や国章に採用されている。

言語学的には、17世紀モンゴル語の音韻だけでなく、当時のモンゴル知識人がサンスクリット語やチベット語の音韻をどのように理解・受容していたかを示す貴重な資料である。

基本情報:

  • 正式名称: ソヨンボ文字(Soyombo script / Соёмбо бичиг)
  • 創制者: ザナバザル(Öndör Gegeen Zanabazar, 1635-1723)
  • 創制年: 1686年
  • モデル: ランツァ文字(Lantsa)、デーヴァナーガリー
  • 対象言語: モンゴル語、チベット語、サンスクリット語
  • 文字方向: 左から右への横書き
  • 字母数: 基本約90文字(母音・子音・結合文字を含む)
  • 現代の用途: 国旗・国章のシンボル、寺院装飾
  • Unicode: U+11A50–U+11AAF

創制の背景

ザナバザルとハルハ・モンゴルの情勢

17世紀後半、ハルハ・モンゴルは西のオイラト(ジュンガル帝国)と南の清朝(満洲)の脅威に挟まれ、政治的に不安定な状況にあった。1635年にモンゴル王公の家に生まれたザナバザルは、幼くして活仏認定を受け、チベット留学を経てハルハ仏教界の最高指導者となった。

彼は単なる宗教指導者にとどまらず、彫刻家、建築家、学者としても傑出した才能を発揮した「モンゴルのミケランジェロ」と称される人物である。彼がソヨンボ文字を創制した1686年は、ハルハ諸部が清朝への帰属を決断する「ドロンノール会盟」(1691年)の直前であり、モンゴルの文化的アイデンティティを確立しようとする強い意志が背景にあったと考えられる。

「自ら生じた文字」の理想

文字名の「ソヨンボ」はサンスクリット語の Svayambhu (自生者、自ら存在する者)のモンゴル語訛りである。ザナバザルは、モンゴル語・チベット語・サンスクリット語の三言語を正確かつ美しく表記できる「聖なる文字」を構想した。これは、13世紀のパスパ文字(フビライ・カーン制定)の「多言語統一文字」という理想を、仏教的な文脈で再解釈した試みとも言える。


文字の構造と特徴

字形の美学

ソヨンボ文字は、インド系のランツァ文字を基盤とし、すべての文字が「枠」の中に収まるような正方形に近い幾何学的なデザインを持つ。

  • 構成要素: 各文字は、上部の水平線と垂直の背骨(spine)を基本骨格とし、そこに三角形や長方形の要素を組み合わせて音を表す。
  • 配置: 母音記号を子音の上下左右に配置するアブギダ(Abugida)形式を採用している。

三言語への対応

本文字は、異なる言語の音韻体系を書き分けるための工夫が凝らされている。

  • モンゴル語: 長母音や二重母音の表記が可能。
  • サンスクリット語: 帯気音・無帯気音、反り舌音などの区別を正確に転写できる。
  • チベット語: 複雑な子音結合(二重子音)を、縦に文字を積み重ねることで表現する。

ソヨンボ・シンボルの象徴性

ソヨンボ文字自体は普及しなかったが、その文字体系の最初に置かれた「ソヨンボ・シンボル」は、モンゴル民族の魂として生き続けている。

このシンボルは以下の要素から構成され、それぞれ深い哲学的意味を持つ:

  1. 火 (上部): 過去・現在・未来にわたる繁栄と復興。
  2. 太陽と月: モンゴル民族の父と母、永遠の空。
  3. 二つの三角形: 敵を打ち倒す矢尻(内と外の敵への警戒)。
  4. 二つの長方形: 丸い形よりも安定しており、国家の正直さと安定を示す。
  5. 陰陽魚 (中央): 魚は眠らないことから、常に警戒を怠らないこと。また、陰陽の調和と増殖。
  6. 左右の垂直な柱: 堅固な城壁のように国家を守る友愛と団結。

使用実態と歴史的展開

限定的な普及

ソヨンボ文字は、その複雑さと装飾性の高さゆえに、実用的な行政文書や日常の筆記には適さなかった。一般民衆は依然としてウイグル式モンゴル文字を使用し続けた。

主に以下の用途で使用された:

  • 寺院の扁額や装飾
  • 仏教経典のタイトルページ
  • 印章
  • 僧侶間の暗号的な通信

現代における復活

20世紀初頭、モンゴルが清朝から独立を宣言した際、民族主義の高揚とともにソヨンボ・シンボルが国旗に採用された。社会主義時代を経て民主化された現在でも、ソヨンボはモンゴル国の象徴であり続けている。

また、近年のデジタル化に伴い、Unicodeへの収録(U+11A50–U+11AAF)が実現し、コンピュータ上での表示・研究が可能となった。


関連項目


最終更新: 2025年11月29日 執筆: Itako (itako999.com)

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