先週の土曜日、モンゴル語のボランティア通訳をやった。モンゴル語通訳の報酬というのは決して安いものではないのだが、韓国に頻繁に調査旅行に行く日本人を頼ってモンゴル人が団体で観光旅行に来るということなので、無償にて通訳を引き受けた。自分も経験があることなのだが、海外に行くと現地の人々になにかとお世話になることが多い。なかには全く見ず知らずの人に、どうしてここまでと思うほど親切にしてもらったことも何度かある。もちろん、外国人からお金などを騙し取ろうとする悪い人もいるが、多くの人は個人で旅をしている旅行者には大変好意的だ。

そしてその現地でお世話になった人が、こちらを頼って来日するということもたまにあるわけだ。向こうで友達の家に泊めてもらったり、食事をご馳走になったりしたことがある以上、こちらもそれ相応のもてなしをするのが道義だと思うが、あいにく日本ではあまりそういう習慣がないことが多い。そのため、周りによっぽど理解がある人でもいない限り外国人が来たときのお世話はすでに自分でやらなければならず、ややもすれば孤立無援の奮闘をすることになる。

私の友人などもインドによく行くのだが、インド人は自分の家がどんな状況になっていても知人が訪ねてきたら必ず泊めるというホスピタリティーを持っている。彼女もインドとの関わりが深いので、しょっちゅうあちらの人達にお世話になっている。ところで、そうしてお世話になった人達の誰かがなんかの機会で来日することもある。泊まるところがないというので、自分のアパートを明け渡してしばらくインド人を住まわせたということもあったそうだ。

あまり海外に行ったことがない人や、行ったとしても短期の観光旅行しか経験がない人には、そうした行為は理解に苦しむだろうが、自分がそれまでに異国の地で受けた親切の記憶が本能的にそうさせるのである。よく国際交流などという言葉を簡単に口にする人がいるが、外国人と居酒屋でお酒を飲んで、日本文化についてうんちくをたれるだけのつきあいはまやかしだと思う。

外国人とのつきあいが深くなればなるほど、日本の常識では考えられないほどの様々な出来事が起こるし、特に発展途上国の出身者が相手ならば、なにかあったときにこちらで一手に面倒を見なければならないこともあり得る。たまにモンゴルに旅行に行く予定の人が、現地で世話になりたいからという理由で私にモンゴル人の友人を紹介して欲しいと頼んでくることがある。もちろん悪いことではないが、世話になった以上はこちらも礼節を尽くせるか、逆に海外からお客が来たときにきちんともてなしをできるだけのキャパシティーがあるか、自問自答してみるのもよいだろう。