清朝の統治者は、モンゴル地区およびそこに居住するモンゴル族の統治を容易にするため、理藩院と諸旗の衛署においてモンゴル語とモンゴル文字の使用を推奨し、北京とモンゴルの各地では「モンゴル官学」のようなものを振興させた。
学生たちはモンゴル語会話を身につけただけでなく、さらに満州語、漢語、モンゴル語の読み書きも学んでいた。同時に、政府からはモンゴル語の規範化と正書法の統一を望む声が出され、重要な公文書、典籍、律令などは、すべてモンゴル語への翻訳刊行が必要とされた。
このように清朝政府がモンゴル語や文字の使用を強く推し進めたため、清代には、モンゴル語による著作、モンゴル文字の正書法、用語集、辞典等が数多く出された。これらには例えば、富俊編著の『蒙文旨要』、阿尤喜固什の『アリガリ文字』、賽尚阿の『蒙文彙書』や『蒙文晰義』等がある。
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http://www.nmg.gov.cn/nmgly/lswh/qd_25.htmより抄訳。