大学生を相手にモンゴル語を教えることになった。ボランティアとはいえ、下手に間違ったことを教えてしまっては大変なので、責任は重い。

もともとこの授業はモンゴル佛典研究会のオプションのようなもので、研究会への参加を希望する初学者のためにモンゴル語の初歩を教えるというのが趣旨とのことだ。

最終的には、研究会での講読会に十分ついていけるだけの読解力を養うのが目標だが、講読会で使用しているのは、おそらく清朝の頃(正確な成立年代は不明)にチベット語からモンゴル語に訳されたと思われる手書きのモンゴル文字によるテキストだ。これをわずか1年間の隔週の授業で読みこなせるようにするというのは、はっきりいってかなり無理がある。こちらとしても、ある程度の基礎までは教えることはできるが、それから先は本人次第と言わざるを得ない。

今日はとりあえず、どんな感じで授業を進めて欲しいか、学生の意向を聞いてみた。幸いなことに、すでに独学で初級モンゴル語の入門書を読んでいるとのことだ。それならば話が早い。独学族が学生なら、こちらの説明の仕方が多少未熟でも、かなりの線までいくかもしれない。

とはいえ、ちょっと困ったことが判明した。研究会の顧問の先生からは、キリル文字は必要ないからモンゴル文字のモンゴル語を教えてくれと依頼されていたのだが、本人はむしろモンゴル文字ではなく、キリル文字のモンゴル語を覚えたがっているようなのだ。読みかけた入門書も、キリル文字モンゴル語のものなので、文法事項はそっちで説明して欲しいのだという。

研究会の方針も尊重しなければならないが、モンゴル語学習者として、キリル文字のモンゴル語が読めるようになりたいと思うのは当然のことだろう。ちょっと悩んだ末、その入門書を教科書として利用し、キリル文字のモンゴル語とモンゴル文字のモンゴル語を比較する形で授業を進めていくということで話がまとまった。まだ私自身、うまく教えられるか不安だが、ベストを尽くそうと思う。