『集史』を編纂したのはラシードゥッデーンとされるが、実際に執筆を行ったのはボルド・チンサンという人物だった。ボルド・チンサンはモンゴルの歴史書について詳しかった上に、『アルタン・デプテル』以外にも、名もない数多くのモンゴル語の作品、記録、論述、メモ書きなどを豊富に所有していたようだ。さらにボルド・チンサンのもとでは、モンゴルの歴史書、法制に通じた老翁たちが書記を務めていたであろうことは言うまでもない。ラシードゥッデーンの作品には、元朝秘史の中の出来事をもっと詳しく書いた様々な史実や伝説が含まれている。それにもかかわらず、学者たちによる詳細な研究が十分になされているとは言いがたい。
ラシードゥッデーンの『集史』の他には、ジュヴァイニーの著による『世界征服者史』という書物がある。ジュヴァイニーはこの書物を1260年に著し、チンギス・ハーンからモンケ・ハーンの時代までの歴史を書き記している。ジュヴァイニーは、イランの地のモンゴル国のウレフ、アバガらのハーンの時代に、政治的地位の高い大臣を務めていた。ラシードゥッデーンは『集史』において、ジュヴァイニーのこの書物を資料として利用している。記録の豊富さにおいてはラシードゥッデーンほどではないが、これもまた重要な文献の一つとして挙げておくべき作品である。
西洋で著されたモンゴルの歴史書には、この他には例えば、プラノ・カルピニの『モンゴル人の歴史』、ウィリアム・ルブルクの『東方旅行記(『蒙古帝国旅行記』)』などの二冊の書がある。1248年にモンゴルに赴いたローマのパプ法王(インケンティウス四世?)の使節プラノ・カルピニ、及び1248年にフランスのリュードスヴィック王の使者としてモンゴルに赴いたウィリアム・ルブリクらの二人の修道士は、互いに近い時代にそれぞれモンゴルに渡って、モンゴルの当時の首都カラ・コリムに滞在した。この間に見聞収集した記録は、当時のモンゴルの状況を非常に詳細に記述しているため、我々歴史家たちに信頼できる情報をもたらしてくれる。