モンゴルの活仏といえばジェプツンタンパ・ホトクトだが、今はどうなっているのだろうとふと気になって調べてみた。すると、非常に面白い記事を発見することができた。
http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20081029/1225260981
うーん、これは文句なしに面白い。内モンゴルの活仏が台湾にまで流転していたとは、これは確かに初耳であった。その他にも、そもそもこれってみたいな疑問をネットでの情報を駆使して分かりやすくまとめてあり、なるほどと納得させられる。
よく見ると、ほとんどの情報はテングリノール(http://www.interq.or.jp/neptune/amba-omo/)の記事が元となっているようだ。私のような素人には整理された膨大な情報の山を見ただけでは猫に小判だったが、改めてテングリノール恐るべしである。
ところで、ダライ・ラマが「転生は自分の代で終わりにしたい」と述べていることについてだが、そんなふうに簡単に「や~めた」ということはできるのだろうか。転生をやめるとしたら、解脱して涅槃に入るぐらいしか方法はないはずだが、仏教的にはダライ・ラマは一応、観音菩薩の化身ということになっている。菩薩とは、すでに如来クラスの悟りの境地に至っているが、あえて菩薩の地位に留まり、この世に生まれてきて有情の救済に当たるという有難い存在なのだ。いや~、やっぱり菩薩が涅槃に入っちゃうというのは教義的にマズイんじゃなかろうか。確かに、生身のひとりの人間が少年時代の十分に物心もついていないうちに認定されて、それからの一生を活仏として過ごさなければならないというのは、ある意味で人道的に問題があるような気もするが。