近代において、活字媒体の中でも特に新聞や雑誌という形式は、イデオロギーの宣伝に利用されてきた側面もあるが、文章化されたひとまとまりの情報を不特定多数の人々が定期的に受け取るというある種の習慣を生み出してきた。
また、こうしたメディアによって「語られる内容」だけでなく、「語る手段」としての役割にも注目したい。つまり、ある種の伝達手段が普及、定着していくにしたがって、その伝達手段そのものが次第に洗練されてくるということだ。
モンゴル語という言語は、近代的な思想や概念、科学技術的な情報を伝達することが十分に容易な、驚くべきほどに洗練された言語体系を持っているが、これには新聞や雑誌も少なからぬ役割を果たしてきたといってよい。
さて、前置きが長くなってしまったが、下記の論文がオンラインにて閲覧可能である。
広川佐保, 「満州国のモンゴル語定期刊行物の系譜とその発展」, 『環日本海研究年報』, The Japan-Sea Rim studies annual report, Vol.14 pp. 104-126, 新潟大学, 2007.(http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/5995/1/05_0010.pdf)
満州国時代の内モンゴル知識人の間で起こった文化的活動と、日本政府による文化政策といった絡みで、当時のモンゴル語定期刊行物について詳しく論じられている。定期刊行物をめぐる両者の間での意識の乖離という点での分析が興味深い。「まとめ」においては、「モンゴル語定期刊行物とは、日本の対モンゴル人文化啓蒙政策ないし宣伝活動と、モンゴル側の文化活動が同居した場であった」として、それゆえに長期間存続することができたとして結んである。
なお、同論文の題名であるが、著者の広川氏に問い合わせたところ、文字化けしてしまっているが、正しくは「満州国」と表記して欲しいとのことである。
最近では、優れた研究論文が次々とWeb上に公開されるようになってきた。従来だと雑誌類などに掲載されたものは、アクセスが容易でなく、せっかく発表されてもその存在すら見過ごしてしまうことすら間々あった。
社会の成熟に伴って、定期刊行物の分野でも細分化が進んできたのがその一因であろう。情報を公開する側にとっても、受け取る側にとっても、選択の範囲が広がったのは好ましいことであるが、その反面、情報の集約化という観点ではやや不便を蒙るようになってきた。
蛇足ながら、今後はインターネットがどこまでそれを補うものとしての役割を果たすことができるか、依然として未知数である。