日本語には「とにかく」という語を「兎に角」と書くことがあり、ちょっと気にかかっていたことがある。というのは、モンゴル語には”ebertei tuulai harsan shig”という言い回しがあり、文字通りに訳せば「角のあるウサギを見たかのごとく」なのだ。通常は、角のあるウサギを見たような顔をする(ぽかんとあっけにとられる)、角のあるウサギを見たかのごとく驚く(あまりにありえないことなので驚く)というように用いられる。

しかし、日本語のとにかくは「いずれにせよ」「どっちみち」ほどの意味で、モンゴル語の「ありえないこと」という意味とは一致しない。

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/163.html

ネットで調べてみた結果、このページの説明が一番詳しかった。どうやら中国古典でしばしば使われていた比喩で、仏典においても空の思想を説く際に「兎角亀毛」として幻想のたとえとして用いられていたようだ。だとすればモンゴル語の方がこれらの元の意味に近い。夏目漱石が始めたのが最初なのか真相は不明だが、日本語の「兎に角」は単なる当て字であるらしい。

「とにもかくにも」は、もともと「そうであっても、こうであっても」という意味で、「いずれにしても」という意味に転用されたということだ。ウサギにも角にも、何の関係のないわけだ。

さて、モンゴル語での用法だが、古来から中国文明とは一線を画していた誇り高い遊牧民が、中国古典の影響を受けたとは考えにくい。ひょっとすると、仏教を介してチベット経由で伝わったという可能性もある。ただし、チベット仏教の経典はパーリ語なりサンスクリット語なりの経典を直接翻訳したものを使用しているので、果たして「兎角亀毛」に相当するような概念が経典に含まれていたかは、現時点では不明である。幸い、私が出入りしている研究会には、モンゴル語はもちろんのことチベット語とサンスクリット語を自在に操れるという人がゴロゴロしているので、今度の集まりの際にでも確認してみよう。

まあ、兎に角(とにかく)、兎に角(うさぎにつの)なんてのはそれこそ兎角亀毛のごとくありえない話だし、斯くの如き事に角を立てても仕方無かろう。おっと、「語源研究には手を出すな」という師の戒めを忘れていた。今日はこの辺で。