国立公文書館が運営しているアジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)には、明治期から第二次世界大戦終結までの期間に関する情報が公開されている。この中には、「外蒙古活仏代表持参書類」という資料が存在する。当時のモンゴル人民共和国、いわゆる外蒙古の活仏の使者が持参した書簡だ。
公開されている画像のうち、最初の数ページは日本語による説明、封筒の表書きの写真などであり、残りのページは手書きのモンゴル語(蒙古文字)による手紙文となっている。活仏の直筆によるものかは不明だが、非常に美しい筆跡である。ただ、注意しなければならないのは、蒙古文字の文章は左から右へと改行されるという事情を知らない人が画像化を行ったらしく、書簡の冒頭部分が後ろのページにきており、閲覧する際には「白い白馬」の言葉遊びよろしく、「前へ前へと後戻り」しながら読み進めなければならない。
書簡にざっと目を通したところ、ロシアの影響で共産主義化した人民党らの勢力による窮状が記され、活仏から日本国天皇に宛てて支援を要請する旨などが綴られている。活仏の使者が日本側との面会を果たしたのは1923年(大正十二年)の5月19日であるが、モンゴルは人民革命の渦中にあった。ちょうどその翌年の1924年5月20日には、当の活仏が死去している。これを機に、モンゴルは君主制を廃して共和制による「モンゴル人民共和国」を宣言するに至った。こうして、モンゴル人民革命党の一党独裁による長い社会主義の時代が始まったのである。
この書簡の背後には、何か大いなる物語が隠されているのかもしれないが、あいにく私はモンゴル史は専門ではないので、これ以上の言及は控えたい。事実、当該書簡がどの程度の史料的価値を持つのか見当もつかないが、当時のモンゴル語を知る上でも非常に興味深く、言語資料としても十分な価値を持つものである。