上記の二冊の書物の他には、マガキ・ワルダンらによる古代アルメニア語で書かれた書があり、早くからモンゴルの一部の学者がそれらの文献をモンゴル語に翻訳して雑誌に発表していた。これらの文献からは、モンゴル人が彼らに対して行った征服について、いくつかの興味深い情報が得られる。西ヨーロッパの言語で書かれた重要な文献としては、イタリアのマルコ・ポーロの旅行記が挙げられる。以前、モンゴルの国家アカデミー会員であるリンチンがマルコ・ポーロの作品を極めて美しいモンゴル語に翻訳したものを何章か発表したが、残念なことに最後まで翻訳されるには至らなかった。内モンゴルでは、マルコ・ポーロの作品が二度に渡って翻訳出版されている。 チンギス・ハーンおよびその時代に関しては、国外において数多く学術的な文献が発表されている。特に優れたものとしては、Д.Оссоによる『モンゴル人の歴史』(1824)、ソ連(現在のロシア)の歴史家В.В. Бартольдによる『モンゴル人による征服時代のトルキスタン』、また特に同著者の『チンギス・ハーンの帝国成立について』という輝かしい研究論文がある。さらに、ソ連の有名なモンゴル学者ウラジミルツォフ(Г.Я. Владимирцов)による『チンギス・ハーンの伝記』、『モンゴル人の社会構造』という書物もある。これらのうち、ウラジミルツォフの『チンギス・ハーンの伝記』は、その前後に出されたチンギス・ハーンに関しするどの作品よりも、学術的な価値が高いものである。ウラジミルツォフの『モンゴル人の社会構造』も、モンゴル史の研究に大きな影響を与え、チンギス・ハーンの時代を研究する上で中心となる貴重な学術的な資料とされている。 これらの著者は、チンギス・ハーンとそれに纏わる出来事を学術的な立場から評価することに努めている。彼らの功績は、チンギス・ハーンとその征服の歴史において起こった出来事を特異な征圧の歴史として捉えていた、それまでの古い考え方を打破し、チンギス・ハーンとその時代の意義を万人に理解可能なものとして説明したことにある。
『集史』を編纂したのはラシードゥッデーンとされるが、実際に執筆を行ったのはボルド・チンサンという人物だった。ボルド・チンサンはモンゴルの歴史書について詳しかった上に、『アルタン・デプテル』以外にも、名もない数多くのモンゴル語の作品、記録、論述、メモ書きなどを豊富に所有していたようだ。さらにボルド・チンサンのもとでは、モンゴルの歴史書、法制に通じた老翁たちが書記を務めていたであろうことは言うまでもない。ラシードゥッデーンの作品には、元朝秘史の中の出来事をもっと詳しく書いた様々な史実や伝説が含まれている。それにもかかわらず、学者たちによる詳細な研究が十分になされているとは言いがたい。 ラシードゥッデーンの『集史』の他には、ジュヴァイニーの著による『世界征服者史』という書物がある。ジュヴァイニーはこの書物を1260年に著し、チンギス・ハーンからモンケ・ハーンの時代までの歴史を書き記している。ジュヴァイニーは、イランの地のモンゴル国のウレフ、アバガらのハーンの時代に、政治的地位の高い大臣を務めていた。ラシードゥッデーンは『集史』において、ジュヴァイニーのこの書物を資料として利用している。記録の豊富さにおいてはラシードゥッデーンほどではないが、これもまた重要な文献の一つとして挙げておくべき作品である。 西洋で著されたモンゴルの歴史書には、この他には例えば、プラノ・カルピニの『モンゴル人の歴史』、ウィリアム・ルブルクの『東方旅行記(『蒙古帝国旅行記』)』などの二冊の書がある。1248年にモンゴルに赴いたローマのパプ法王(インケンティウス四世?)の使節プラノ・カルピニ、及び1248年にフランスのリュードスヴィック王の使者としてモンゴルに赴いたウィリアム・ルブリクらの二人の修道士は、互いに近い時代にそれぞれモンゴルに渡って、モンゴルの当時の首都カラ・コリムに滞在した。この間に見聞収集した記録は、当時のモンゴルの状況を非常に詳細に記述しているため、我々歴史家たちに信頼できる情報をもたらしてくれる。
漢語で書かれた重要な資料にはこの他に、『蒙韃備録』、『黒韃事略』という二冊の書物があり、十三世紀のモンゴルの歴史、政治、生活、文学、軍事、道徳習慣に関して信頼に値する情報が含まれている。この二冊の書はモンゴル国で翻訳されたが、出版には至らなかった。しかしながら、内モンゴルの学者たちは『モンゴル文献集(Монгол тулгар бичгийн цуврал)』の中に上記の二冊の書を『皇元聖武親征録』とまとめて一冊の本とし、1985年に出版公開している。 モンゴルの歴史、特にチンギス・ハーンの歴史や伝記に関する漢語で書かれた資料は非常に多いが、これらのすべてを挙げるのはひとまず止めておき、他の外国語で書かれた文献について述べることとする。 まず挙げるべきなのは、ラシードゥッディーン(1247~1318)によって編纂された『集史』という巨著である。この書物は、ユダヤ民族で医師であった(ラシードゥッディーンによって)、現在のイランの地に成ったモンゴル国のガザンやウルジートらのハーンたちの治世の時代に、ハーンらの命を受けて書かれたものである。ガザン・ハーン(1271~1304)は、(中略)イランに成ったイル・ハン国のハーンであり、非常に学識と権力を備えていた人物として歴史書に記されている。 ラシードゥッディーンは、イランのモンゴルのハーンの宮殿にある書庫に収められていた『黄金の秘冊(アルタン・デプテル)』などの、現在では残されていない特に重要な資料を利用しているという点で、(『集史』は)特に価値が高い。
「チンギス・ハーンとその時代に関する史料または文学作品」 (Ш. Нацагдорж, “Чингис хаан ба түүний үеийн талаарх сурвалж бичиг. зохиол”, Чингис хааны цадиг, Улаанбаатар.1991. より翻訳) この何巻にも及んで書き綴られた元史は、元朝の崩壊後に成立した漢民族の王朝である明朝の歴史家たちによって編纂されたものである。この巨著には、現在では残されていない数多くの資料が利用されているだけでなく、間近に起こった出来事を検証して書かれているため、いずれも極めて多くの情報が含まれている。しかしながら、この書物は過分に明代の歴史学者が史実を歪曲して記述した面があり、誤った記述も少なくないという点を指摘しておかなければならない。 モンゴル古典籍院のメンバーであるダンダー氏は、同院のプロジェクトとして、元史を中国語からモンゴル語に翻訳する作業を行った。彼のこの業績は、モンゴル史研究における忘れがたい功績であり、後世のモンゴル人歴史学者のために残された記念碑的事業といえよう。 なお、元史の他には『皇元聖武親征録』というもう一つ重要な書物がある。この書物もまた、ダンダー氏によってモンゴル語訳がなされている。最近では、内モンゴルでも『皇元聖武親征録』が新たに翻訳して出版された。これは元々はモンゴル語で書かれた作者不明の書であり、元朝秘史に書かれている内容とほとんど一致している上に、全く記述されていない内容も含まれているという点が興味深い。 中国にはこの他、重要な文献として漢人である長春真人(邱処機)による「長春真人西遊記」という非常に貴重で珍しい書物も存在する。漢人の学者、長春真人がチンギス・ハーンの命により漢地から中央アジアに向けて長い旅を続け、チンギス・ハーンに謁見したことなどを克明に記録した実話である。
チベットにはシャパレという食べ物があるそうだが、まだ食したことはない。ネットで調べたところ、パイ包みの中に餃子の具のようなものが入っているもの、カレーパンサイズの揚げ餃子などと説明があった。ラサでは簡便化したものなのか、揚げパンに肉を挟んだだけのものが売られているという。 先日購入した”Imperial mongolian cooking”にもシャパレの作り方が載っていたが、これはオーブンで焼くタイプだ。小麦粉の生地で皮を2枚作って間にひき肉を挟んで焼く。同書の著者のお祖父さんは、これを”モンゴル・ピロシキ”と呼んでいたそうだ。 もちろんこれはチベット料理であって、モンゴル料理ではないのだが、モンゴルにもホーショールというそっくりの料理がある。これは一枚の皮にひき肉をつめて、平たくして油で揚げて作る。 はたしてシャパレとホーショールのいずれかがルーツなのか、あるいは遊牧生活の文化の中で似たような料理が生まれたのか、定かではない。
『同文韻統』とは、章嘉呼図克図によって乾隆十四年(1749年)に編纂された、梵字、チベット文字、満州文字、蒙古文字、漢字の対応表を附した書である。『欽定同文韻統』または『御製同文韻統』とも題され、6巻本の版と8巻本の版がある。 著者の章嘉呼図克図(章嘉活仏)は、中国内モンゴル地区で信仰されるチベット仏教最大の活仏であり、清代に内モンゴルのチベット仏教を取り仕切っていた。章嘉一世は元の名を張家といい、後に章嘉と改名した。呼図克図(ホトクト)はモンゴル語で聖者を意味する。なお、母寺は青海佑寧寺(かつての郭隆寺)である。 筆者の手元にあるのは、台湾で民国67年(1978年)に刊行された新文豊出版公司による『同文韻統六巻』の影印本で、単行本として刊行されている。 ・第一巻・・・「天竺字母譜」として梵字(悉曇文字?)、チベット文字、満州文字、蒙古文字(アリガリ文字を含む)、漢字の対応表・第二巻・・・「天竺音韻翻切配合十二譜」・第三巻・・・主にチベット文字の重子音についての表からなる。チベット文字と満州文字、蒙古文字、漢字の対応表・第四巻・・・「天竺西番陰陽字譜」として、そのうち「天竺音韻十六字」、「天竺翻切三十四字」、「西番字母三十字」、チベット文字、満州文字、蒙古文字、漢字の対応表で、表中に梵字は含まれない。・第五巻・・・「大蔵経字母同異譜」・第六巻・・・表音字として用いられた漢字と、個々の発音についての詳細。
先日、”Imperial Mongolian Cooking”という本を購入した。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/0781809991/sr=1-1/qid=1186928086/ref=olp_product_details/503-8984080-3708768?ie=UTF8&qid=1186928086&sr=1-1&seller= 一冊の本が書けるほどにモンゴル料理(乳製品を除く)がバリエーションに富んでいるのかと、半信半疑で購入したのだが、はたして内容については「微妙」としか言いがたい。どうやら、かつてモンゴル帝国時代にモンゴルの領土に含まれていた地域の民族料理、郷土料理を網羅しているようだ。 チンギス・ハーンが羊肉の塩茹で以外に、サラダやシーフードまで召し上がったとはとても想像しがたいが、統治下の民衆が食していた可能性は否定できないだろう。そういう意味では、中央ユーラシアの食生活の片鱗を伺うための書として捉えれば、たしかに一読の価値はある。 今日、さっそくウズベク式プロヴ(チャガタイ・ハン国料理)という料理を作ってみた。ピラフのルーツの一つともいえる料理である。みじん切りにした玉ねぎ、ラム肉、人参をオリーブオイルで炒め、インディカ米と水を入れて蒸らすこと15~20分で完成だ。仕上げにパセリを散らす。火加減が難しいので多少お米に芯ができてしまったが、初めてにしてはまずまずの出来だった。次回の成果に期待しよう。
蒙古文字入力用の「WPS Office 2005 個人版」というフリーソフトをダウンロードしてみた。WPS Officeのホームページは下記である。 http://wps.kingsoft.com/ ダウンロードは以下のページから可能だ。 http://kdn071.dl.kingsoft.com/wps/personaltrial/setup_wps2005.12012.0.exe このソフトは「WPS文字」というワープロソフト、「WPS演示」というプレゼン用ソフト、「WPS表格」という表計算ソフトからなっている。 ワープロソフトはメニューの[格式]→[文字方向]で縦書きの左から右改行を選択すれば、蒙古文字を入力することができる。段組などの小細工をしなくとも普通に左から右に改行してくれるので、OpenOfficeを使っての入力よりははるかに楽だ。さらに嬉しいことに、作成した文書はPDF化することもできる。 プレゼン用ソフトはというと、縦書きで蒙古文字フォントの表示は可能だが、まだ左から右改行はサポートされていないようだ。 表計算ソフトについてはまだよく調べていない。
蒙古文字用のワープロソフトをダウンロードしてみた。「蒙文WPSOffice2000」というソフトだ。 http://www.mongolger.net/ruanjian/wps2002.rar rar形式の圧縮ファイルなので、Lhaplusという解凍ソフトを窓の杜からダウンロードしてきて解凍してみた。 http://www.forest.impress.co.jp/lib/arc/archive/archiver/lhaplus.html なんとかインストールはできたが問題点がある。レイアウトは縦書きで左から右改行されるようだが、文字の向きが横を向いたままなのである。しかもローマ字しか表示されない。 設定を変えればうまくいくのかもしれないが、あいにくメニューは中国語で書かれているためか、すべて文字化けして何も見えない。 中国内モンゴルからの留学生の話では、現地ではWPSを使っていたが、日本ではうまく使えないという。おそらくOSが中国語版Windowsならば問題なく使えるのだろう。
蒙古文字ソフトを紹介し、そのダウンロード先を示した、「蒙文軟件輸入法大全」(モンゴル語ソフト入力大全)という、極めて有意義なブログを見つけた。表示にはかなり時間がかかるが、気長に待っていれば確実に表示されるはずだ。 http://saqirilatu.blogcn.com/index.shtml 私が特に興味があるのが、蒙古文字の入力用のワープロ各種と、フォントのユニコード割り当てである。 とりあえず、いろいろ試してみて、少しずつ結果を紹介していきたい。