フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には各国語版が存在する。試しに「モンゴル語」という項目を調べてみた。モンゴル語研究はどの国で盛んか、あるいは盛んでないか、ひとつの目安になるかもしれない。 日本語版ウィキペディア モンゴル語版ウィキペディア 中国語版ウィキペディア 英語版ウィキペディア ドイツ語版ウィキペディア フランス語版ウィキペディア ロシア語版ウィキペディア 韓国(朝鮮)語版ウィキペディア ヒンディー語版ウィキペディア さてクイズ。これは何語版でしょう?http://eo.wikipedia.org/wiki/Mongola_lingvo
近代において、活字媒体の中でも特に新聞や雑誌という形式は、イデオロギーの宣伝に利用されてきた側面もあるが、文章化されたひとまとまりの情報を不特定多数の人々が定期的に受け取るというある種の習慣を生み出してきた。 また、こうしたメディアによって「語られる内容」だけでなく、「語る手段」としての役割にも注目したい。つまり、ある種の伝達手段が普及、定着していくにしたがって、その伝達手段そのものが次第に洗練されてくるということだ。 モンゴル語という言語は、近代的な思想や概念、科学技術的な情報を伝達することが十分に容易な、驚くべきほどに洗練された言語体系を持っているが、これには新聞や雑誌も少なからぬ役割を果たしてきたといってよい。 さて、前置きが長くなってしまったが、下記の論文がオンラインにて閲覧可能である。 広川佐保, 「満州国のモンゴル語定期刊行物の系譜とその発展」, 『環日本海研究年報』, The Japan-Sea Rim studies annual report, Vol.14 pp. 104-126, 新潟大学, 2007.(http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/5995/1/05_0010.pdf) 満州国時代の内モンゴル知識人の間で起こった文化的活動と、日本政府による文化政策といった絡みで、当時のモンゴル語定期刊行物について詳しく論じられている。定期刊行物をめぐる両者の間での意識の乖離という点での分析が興味深い。「まとめ」においては、「モンゴル語定期刊行物とは、日本の対モンゴル人文化啓蒙政策ないし宣伝活動と、モンゴル側の文化活動が同居した場であった」として、それゆえに長期間存続することができたとして結んである。 なお、同論文の題名であるが、著者の広川氏に問い合わせたところ、文字化けしてしまっているが、正しくは「満州国」と表記して欲しいとのことである。 最近では、優れた研究論文が次々とWeb上に公開されるようになってきた。従来だと雑誌類などに掲載されたものは、アクセスが容易でなく、せっかく発表されてもその存在すら見過ごしてしまうことすら間々あった。 社会の成熟に伴って、定期刊行物の分野でも細分化が進んできたのがその一因であろう。情報を公開する側にとっても、受け取る側にとっても、選択の範囲が広がったのは好ましいことであるが、その反面、情報の集約化という観点ではやや不便を蒙るようになってきた。 蛇足ながら、今後はインターネットがどこまでそれを補うものとしての役割を果たすことができるか、依然として未知数である。
島根県立大学メディアセンターでは、井上治教授が所蔵するモンゴル国(旧モンゴル人民共和国)科学アカデミーから刊行された人文社会系学術定期刊行物の目録が公開されており、下記のページで検索が可能とのことだ。 http://gdb.u-shimane.ac.jp/neardb/mongolianJSP.jsp 試しに検索を試みたが、私のブラウザ側の都合か、うまく検索できなかった。もうちょっと別の方法を試みて、もしうまくいかなっかたら作成者に問い合わせてみることにする。 なお、「本データベースに収めた刊行物は本学メディアセンターの所蔵目録ではないので、貸し出し・複写などには一切応じられない」とのことなので、文献そのものの入手は不可能である点に注意されたい。
アメリカのモンゴル学センター(American Center for Mongolian Studies)のホームページを見つけたので、メモしておく。http://www.mongoliacenter.org/ モンゴル語表示のページもある。http://www.mongoliacenter.org/mn/
ちょうど去年の夏ごろ、さる高名なモンゴル語学者から、近代のモンゴル語辞書に関してのある質問をメールにていただいていた。しかし、あいにくデータの整理に手間取るなどの事情があって、なかなかその答えを見つけることができないでいた。 ところが今日調べものをしていると、ふとした弾みで下記のページにたどり着くことができた。1年前に出された宿題の答えをようやく見つけることができたようだ。『三合便覧』というのがその答えである。(追記:確かに字母順の配列だが、正確にいうと見出し語になっているのは満州語の単語なので、これは答えにはならないかもしれない。) http://baike.baidu.com/view/821969.htm?ih=255 もっとも、その復刻版が収められている東洋文庫にまで出かけて、実際に中身を確認するという作業が残っている。とりあえず忘れないうちにメモしておこう。詳細は後日。
何やら昔自分でメモしたものが見つかった。はっきりと記憶にないのだが、清代の大型モンゴル語辞書についてまとめていた途中のようだ。とりあえず、忘れないようにここに載せておこう。 我ながら電脳空間を自分のメモ代わりにばかり使っている太いやつである。まあ、この「いたこのたわごと」は本来、日々のメモ書きを趣旨としているので、その辺はご容赦願いたい。もうちょっとまとまった情報を得たいのなら、「モンゴル語の穴ぐら(http://itako999.blog41.fc2.com/)」をご覧になることをお勧めする 『御製五体清文鑑』(満蒙漢蔵維)『西域同文志』(満蒙漢蔵維托忒)『四体合璧清文鑑』(満蒙漢蔵)『三合便覧』(満蒙漢)『蒙古托忒彙集』『蒙蔵語彙』『蒙文注解詞典』 <出典>http://www.nmg.gov.cn/nmgly/lswh/qd_25.htm
また最近、モンゴル語に関して書きたい内容が頭の中に溜まってきた。寝ている間に頭に機械を装着しておくと、自動的にデータを吸い出して、分類整理して文章化し、PCデータとして保存しておいてくれる・・・・・・なんて装置がいつか出現することを夢見ているのだが、なかなかうまい具合にはいかなさそうだ。 ということで、以前執筆計画に記してまだ実現していない項目と併せて、新たに計画中の執筆内容を以下にメモする。 一応、優先順位が高い順に列挙しておく。 ・近代のモンゴル語辞書に関して記事をまとめる。 [作成中]・近代のモンゴル語教科書に関して記事をまとめる。[作成中]・「モンゴル人の味覚」の続き(飲み物、きのこ、ベリー類、肉加工製品、食品市場、異民族の影響を受けたメニュー、食器類、食事作法、禁忌、味覚に合う日本料理は何かなど)・「モンゴル料理の作り方」の続き(ボーズ、ホーショール、バンシ、ゴリルタイシュルの作り方など)・「国内モンゴル語研究最前線」の続き(東北大学、モンゴル佛典研究会など)・モンゴル語辞典の蔵書(約100冊)のスキャン画像取り込み。ISBNなどの書籍情報のまとめ。・「恩師たちの思い出」をまとめる。・「モンゴル語研究拠点」をまとめる。・「モンゴル語書籍所蔵図書館」をまとめる。・「欧米におけるモンゴル語研究」をまとめる。・日本モンゴル学会紀要のうち、モンゴル語研究論文の目録作成。・Ciiのモンゴル語研究論文の目録作成。・最近出版されたモンゴル語辞書の紹介。・「モンゴル語研究書籍厳選30冊」(紹介冊数は変更の可能性あり)の執筆。・近代のモンゴル語出版事情についてのまとめ。 この他、当分は手が回らないがそのうち執筆を予定しているものは以下である。・『ホホ・ソダル』の各章について、『青史演義』を参考に内容の要約を作成。[作成中]・「モンゴル語コーパス」に関する情報をまとめる。・モンゴル語Web表示のための「外部フォント・ファイル」の記事について続きを書く。・モンゴル語のユニコード表示に関する記事 [作成中]・「モンゴル語速報」でモンゴル人研究者によるモンゴル語PC処理の開発について紹介。・「モンゴル語速報」で国内の研究者によるモンゴル語辞書電子化について紹介。・蒙古文字の各種フォントの紹介と説明。 とまあ、ざっとこんな感じだが、全部まともに書いたなら最低でも数ヶ月、いやおそらく1~2年はかかるだろう。書いているうちにまた新たなアイディアが沸いてくる恐れもあるが、気長にぼちぼちやることにしよう。
島根県立大学メディアセンターには、故服部四郎の所蔵していた書籍を集めた「服部四郎ウラル・アルタイ文庫」が存在する。 http://ekanji.u-shimane.ac.jp/hattori/kiyaku.jsp 服部四郎といえば、言語学の権威であり、日本語とその近隣の諸言語についても幅広い研究を行った人物として有名である。モンゴル語関係の主な著作としては、『蒙古とその言語』湯川弘文社(1943年)、『蒙古字入門』文求堂(1946年)、 『元朝秘史の蒙古語を表はす漢字の研究』文求堂(1946年)などがある。 同文庫にも、その研究活動を反映して、言語学を中心とする幅広い分野の書籍、資料が収められており、所蔵数は約1万5千点とのことだ。また、同文庫ホームページの表紙を飾る『モンゴル語-ロシア語辞典』の存在は、特筆すべきものである。 惜しむらくは、まだデータベースは作成されておらず、寄贈者によって作成された手書きの目録の画像、書架に書籍類が収められた状態を撮影した画像のみがオンラインで閲覧可能である。利用規約によると、これは暫定的なものであり、今後はデータベースを改善予定だとのことだ。とはいえ、当然といえば当然のことながら、「データベース」、「目録」、「書架画像」、「目録画像」に至るまで事細かに著作権が定められており、いろいろと紹介したいものはあったが、おいそれと引用するには憚られる印象を受けた。 ここでは利用者の便宜のために、モンゴル語書籍は目録画像の303ページ、591ページ周辺を探すとよいということを一言付け加えておきたい。
国立公文書館が運営しているアジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)には、明治期から第二次世界大戦終結までの期間に関する情報が公開されている。この中には、「外蒙古活仏代表持参書類」という資料が存在する。当時のモンゴル人民共和国、いわゆる外蒙古の活仏の使者が持参した書簡だ。 公開されている画像のうち、最初の数ページは日本語による説明、封筒の表書きの写真などであり、残りのページは手書きのモンゴル語(蒙古文字)による手紙文となっている。活仏の直筆によるものかは不明だが、非常に美しい筆跡である。ただ、注意しなければならないのは、蒙古文字の文章は左から右へと改行されるという事情を知らない人が画像化を行ったらしく、書簡の冒頭部分が後ろのページにきており、閲覧する際には「白い白馬」の言葉遊びよろしく、「前へ前へと後戻り」しながら読み進めなければならない。 書簡にざっと目を通したところ、ロシアの影響で共産主義化した人民党らの勢力による窮状が記され、活仏から日本国天皇に宛てて支援を要請する旨などが綴られている。活仏の使者が日本側との面会を果たしたのは1923年(大正十二年)の5月19日であるが、モンゴルは人民革命の渦中にあった。ちょうどその翌年の1924年5月20日には、当の活仏が死去している。これを機に、モンゴルは君主制を廃して共和制による「モンゴル人民共和国」を宣言するに至った。こうして、モンゴル人民革命党の一党独裁による長い社会主義の時代が始まったのである。 この書簡の背後には、何か大いなる物語が隠されているのかもしれないが、あいにく私はモンゴル史は専門ではないので、これ以上の言及は控えたい。事実、当該書簡がどの程度の史料的価値を持つのか見当もつかないが、当時のモンゴル語を知る上でも非常に興味深く、言語資料としても十分な価値を持つものである。
東京外国語大学付属図書館には、貴重なモンゴル語の木版本のコレクションが収められている。これらの一部は、同図書館で2003年に行われた特別展示のパンフレットから伺い知ることができる。 .http://www.tufs.ac.jp/common/library/guide/shokai/tenji4.pdf 以下の説明は、東京外国語大学付属図書館報『Castalia』第6号に掲載の二木 博史「木版文化の世界」からの抜粋である。 東アジアでは、金属活字を用いた印刷技術が普及する前の時代には、木版印刷が重要な役割をはたしていた。モンゴル語の印刷物の場合も、元朝以来の数百年にわたる木版の時代の後、短い石版印刷の時期を経て、20世紀の10年代から活版印刷が主流になった。 モンゴル語の木版印刷の代表的なものは、北京版とよばれる、おもに清代に北京で出版された書物である。東京外国語大学附属図書館には、約20点のモンゴル語の北京版が所蔵されてきた。ジャンルからみると、対訳語彙集と仏典が大部分である。これらは、1910年代から1940年代の時期に、当時の教官等によって北京で購入されたものと推定される。 さらに、現在進行中のCOEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」の予算により、モンゴル語の北京木版本を6点購入した。ロシア帝国時代、シベリアで刊行されたブリヤート版など、計11点の木版本も併せて購入したので、本学図書館のモンゴル語の木版本のコレクションは、40点ちかくになった。この所蔵数は世界に誇れるものである。 <出典>二木 博史, 「木版文化の世界——北京版モンゴル語文献を中心に——」, 『Castalia = 知の泉(東京外国語大学附属図書館報)インターネット版第3号』, 2003.