紀行文というやつはどうも苦手だ。読んでいると苦痛になる。中世にモンゴルを訪問した人の記録とか、モンゴルやチベットに何年も潜伏した人の記録とか、そういったものはそれなりに読んで楽しいのだが、数泊の観光旅行の記録みたいなのを読むとうんざりしてくる。これは別に特定の作品を批判することを意図したものではないので、一般論として聞いて欲しい。
この手の紀行文は、成田空港に到着した場面でストーリーが始まるのがお決まりのパターンで、空模様がどうだったとかいう話になる。そして感動の搭乗シーンとなり、さらに機内での様子の細々とした描写に移る。大抵はフライト・アテンダントに「チキン・オア・フッシュ」と訊かれたなどという話が微に入り細に入り綴られる。そして、チキンを頼もうと思っていたのに品切れで、結局フッシュを食べたというエピソードが最高のクライマックスであるようだ。
それでもまあ、よく考えてみれば、閉鎖空間に身を置かれて食事に2つしか選択肢がないという状況は日常生活では稀なことなので、印象に残りやすいのだろう。各民族の宗教的、文化的な背景からして、チキンがタブーだという人は少ないので、選択肢のうちのひとつとして採用されやすいのだというような話は聞いたことがある。
しかし、飛行機にチベット人の御一向様が乗り込んできた場合、ちょっとやっかいなことになりそうだ。チベット人には魚を食べる習慣はない。仏教に関係があるという説もあるが、詳しい説明は省くとしよう。海外在住が長いチベット人は例外として、まず魚は食事に出さないほうが無難だ。しかも、ラサなどの都市部に住むチベット人を除いて、チキンもあまり食べる習慣はない。あるいは鳥葬の習慣に関係があるのかもしれないが、文化的なものもあるのだろう。
というわけで、チキンとフッシュしか用意していなかった場合、乗客は食事にありつくことができない。まさかそんなことは搭乗手続きの際に確認すればいいのではというツッコミが入るかもしれないが、チベットという国があるわけではないので、搭乗手続きをする際に提示されるのはあくまでも中華人民共和国のパスポートなわけだ。
チベット人が常食にしているのはヤクの肉だが、現地に行かなければ入手は難しいので、代わりにビーフ・オア・チキンにしてみたと仮定する。だがそこに、インド人御一行様がどやどやと乗り込んできたらどうなるだろう。インドには多種多様な宗教の人々がいる。私の記憶違いでなければインドのパスポートに宗教の別が明記されているわけではないので、これも蓋を開けてみるまでどんな食事を用意すればいいのか分からないはずだ。
ヒンドゥー教徒は宗教的タブーでビーフを口にすることはできない。一方、イスラム教徒はポークがタブーである。ヒンドゥー教徒ならばタブーではないが、インドでは文化的にポークを口にすることはきわめて稀だ。つまり、ビーフやポークという選択肢もあり得ない。では、マトンを用意したらどうだろう。これならばヒンドゥー教徒もイスラム教徒も文句を言わないだろう。チベット人もマトンなら大丈夫なはずだ。
だが、もっとやっかいな問題が潜んでいる。イスラム教では、厳密にいうとハラールというイスラム教の儀式にのっとって屠殺された肉しか食べてはならないことになっている。戒律を厳格に守るイスラム教徒ならばハラール肉しか口にしない。では、ハラール肉が手に入らない場合はどうするのかというと、今までに出会ったイスラム教徒を実際に観察したところ、代わりに魚を食べるなどしていた。ということは、マトン・オア・フッシュですんなり解決するだろうか。
いやしかし、インドには厳格なベジタリアンのヒンドゥー教徒も存在する。彼らは肉も魚も、人によっては卵も口にしない。では、マトン・オア・ベジタブルでどうだ。いやいや、物事はそう単純ではない。インドにはジャイナ教徒という人々もいる。彼らはほとんど全てベジタリアンなのだが、厳格なジャイナ教徒になると根菜類も食べてはいけないことになっている。つまり、同じベジタリアン食でもジャガイモを使ったコロッケなどはダメなことになる。すると、マトン・オア・豆カレーとでもいう2択に落ち着くのだろうか。イスラム教徒も、ハラール肉も魚も手に入らない場合には、最後の手段として何ヶ月も菜食を続ける場合があるという話を聞いたことがある。肉類がないとイスラム教徒的にはやや不満だろうが、ベジタリアン食で我慢してもらうしかないだろう。ともかく、これならばチベット人、厳格なイスラム教徒、厳格なヒンドゥー教徒、厳格なジャイナ教徒の全てを満足させることができそうだ。
ここにモンゴル人の御一行様が乗り込んできても何ら問題がないように思われる。モンゴル人の常食はまさにマトンである。付け加えて言うならば、モンゴル人はよっぽどのことがない限りラムを食べることはない。生育していない家畜を殺すのは不憫だというわけだ。
しかしここで、ふとやっかいなことに思い当たった。モンゴル人はインド人とは逆でスパイス類が苦手なのである。チベット人はというと、インド領内やラサなどに住む人だとスパイス類は大丈夫だが、他の地域のチベット人はあまりスパイス類は好まない。
しかも、さらにうるさいことを言うと、イスラム教徒とモンゴル人では家畜の屠殺の方法が逆である。イスラム教徒は喉を掻っ切って血を流しだすようにするのだが、チンギス・ハーンはこれを嫌った。モンゴル人は基本的に首から出血させることなく屠殺を行う。うるさいことを言うイスラム教徒とうるさいことを言うモンゴル人が同乗したら、用意したマトンによってはどちらかが食すことができないという事態も起こり得る。モンゴル人は食事に肉が入っていなかったら相当不満に思うだろう。すると、モンゴル人に合わせるならばモンゴル式のマトンを用意して、イスラム教徒は全員菜食してもらうということになるだろうか。いや、だが全てが厳格なモンゴル人やイスラム教徒とは限らない。大抵のモンゴル人にはハラール肉を食べさせても構わないと思うし、イスラム教徒でもハラール肉以外のマトンでも構わないという人はけっこういる。というわけで、結論はマトン・オア・豆カレー。スパイスの問題を忘れていたが、ガラムマサラでも食事に添えて配ってインド人に我慢してもらうしかないだろう。ともあれ、問題はうまく解決したようだ。
するとそこに、マトンも豆カレーも苦手という日本人が乗り込んできて・・・・・・。