人が「調べもの」をする動機には、大きく分けて2種類あると思う。

ひとつは、何かを成し遂げるために、その準備としていやおうなしに物を調べざるを得ない場合だ。例えば、使っていた掃除機が突然動かなかったとする。こんなとき、取扱い説明書を読めばいいのだが、これが分厚かったりするとやっかいだ。もし「そもそも掃除機たるものは・・・」などと、どうでもいい文章が延々と続いていたとしたら、読まされる方もたまったもんではない。

世の中、これだけ情報が氾濫していると、必要な情報と不要な情報をより分けるのにひどく頭を使わされる。だから、必要な情報はある程度整理して、すぐに引き出せるようにしておいた方がいいだろう。古くは辞書や百科事典、さらには入門書や概説書などが、必要な情報へのアクセスのための道しるべとなっていた。最近では検索エンジン、データベースなどがそれに変わりつつある。これだけ記憶媒体が進歩した現在、知識をすべて頭の中に溜め込む必要はなくなった。むしろ、何かしたいとき、どうすれば必要な情報が求められるかを知っていることの方が重要になろうとしている。

しかし、我々現代人はいつのころから、情報を娯楽として消費するという習慣も身につけている。人が調べものをするもうひとつの理由として、なぜか調べる行為そのものが楽しみということもある。

娯楽として調べものをするならば、情報は各所に分散していて、入り組んでいればいるほど楽しい。宝探しのようなものだ。だから、情報というものは、楽しいと感じる人が整理すればいいし、それを使いたい人は自由に活用すればいいと思う。それが嫌な人は、もっとデキのいいものを探すか、自分でもっと使いやすいものを創るかどっちかだ。